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有頂天日記 7月22日

皆様

こんにちは。

 

最近、オリジナルのTシャツの作り方を調べてみました。

案外作れそうなものですね。

 

え、なんでそんなものを調べているかって?

それはこのブログを読んで下さっている方はわかると思います。

分からない方は最初から読んでくださいませ。

 

現在3銀閣。

 

ちなみに自分は鍋が好きである。

どれくらい好きかというと、学生時代は月に2~3回友人を集めて

盛大に阿呆をやっておりました。

だいたい自分の家で鍋をやるのですが、もっぱら自分は濃いものが好きだ。

坦々胡麻鍋、キムチ鍋のローテーションである。

 

塩?よせ鍋?水炊き?

 

否である。

あまりにも周りがごねる場合は、鍋を二つ用意したものだ。

濃い味と薄い味を。

自分は濃い味しか食べませんがね。

 

PAに入ってからも、定期的に鍋をやっていた。

この間の内入り時に使用した土鍋は自分の物である。

東京に来てから購入した土鍋ではあるが、すでに何十回と鍋をした

愛着のある土鍋である。

 

ところが。

 

内入りが終わり、後片付けをして、土鍋を紙袋に入れた。

そして渡邉がそれを持っていた次の瞬間。

底が抜けて、地面に落ちました。

そしてこれである。

 

ああぁ。

 

土鍋が・・・・。

なんてこった。

これでしばらく鍋ができないではないか。

そしてまた買わねばならんではないか。

これは、勤務時間内に起きたことなので、経費的なアレでどうにかなりませぬか

相馬P!

もし可能なら、もっと大きな土鍋を買いたいな。

 

ただ有頂天家族を作っているせいで、ふと思うことがある。

狸はもちろん、鍋にされるのは嫌だろう。

それは狸だけでなく鳥も豚も牛もいやであろう。

そうすると、少しばかり食べるのが憚られる。

だけどやっぱり肉がうまい。

うまいものはしょうがないので、やはりおいしく食べてあげるのが

礼儀というものでしょうか。

とかなんとか考える今日この頃。

 

それでは。

 

山本

 

月, 7月 22 2013 » 有頂天日記 » コメントは受け付けていません。

有頂天日記 7月21日

【有頂天家族】をご覧いただいた皆様から、「京都に行きたくなった」という反響をたくさん頂きました。
そんな京都巡礼の皆さまも第3話では、「扇屋の奥に海って何処やねん?」と思われたと思います。

弁天が海に飛び込んで鯨の尻尾をつかむ場面は、森見登美彦氏も楽しみにしていたシーンだったようで、アフレコでは鯨の尻尾を引っ張る弁天の高笑いを聴いてニッコリと口角を上げておられました。
僕は弁天のいたずらに、「何すんだヨゥ…」と困惑する鯨の鳴き声がお気に入りです。

では、この海は何処にあるのか?
こんなとき僕らが原作者に「ここのモデルは何処ですか?」と安易に訊くのはちょっと憚れるんですね。
原作からいろいろ調べたり想像を膨らませているうちに、どんどん作品への理解が深まる楽しみがあるのです。そこは時間をかけたいところ。

『地図だけが知っている日本100年の変貌』(竹内正浩 著)を読むと、扇屋「西崎源右衛門商店」のある三条高倉からずっとずっと南に下ったところには、「巨椋池」(おぐらいけ)という大きな池があったそうです。
今は存在していません。昭和8年から16年にかけて干拓されました。
周囲16キロメートル、水域面積7.94平方キロメートルだったといいますから、池というより湖ですね。

ハハーンそうか! 森見登美彦氏も京都の歴史を調べているうちに、この巨椋池を見つけて思いついたんじゃないだろうか。
「巨椋池が巨鯨池だったらオモチロイ!」
京都最大の淡水湖に妄想の鯨を浮かべて楽しんだのではないか?

先生とお話をする機会があったので僕の推理を確かめてみました。
えーっと、巨椋池とは無関係のようです。ショボン。
最近この「京都の海と鯨」の森見登美彦氏の答えを【TV Bros】に掲載されたインタビューで読みました。

「夏だからなんとなく海というノリで書いたところなんです(笑)」(森見)

えっ…ノリ? ま、まあそういうものですよね。

森見登美彦氏のファンはご存知の通り、作品のほとんどが京都を舞台にしています。
多くの作品で繰り返されるモチーフ、作品を股に掛けて出没する人物と小道具。
それらをパズルのように繋げて、森見作品に通底する作者の意識を探る楽しみがあります。
ご本人が「なんとなくノリで書いた(笑)」だったとしても構わない。
「京都だったらまあ、アリかな」みたいな。【公式読本】それでオーケーなのです。
定番のモチーフの上に「ノリ」や「思いつき」をレゴブロックのように積み上げていったら、作者が無意識に作り上げた謎多き京都の輪郭が立ち上がってくるんじゃないかという楽しみ。

僕も歯科医院のお姉さんに言われたい。
「この謎を解いてごらん。どうだ。君にはできるか」

下鴨総一郎が山そのものに化けた偽如意ケ嶽の怪奇を原作では次のように表記しています。

木のうろから無数に生み落される達磨たち、歌って踊れる鶏のダンスユニット「ゴージャスチキン」、霧に沈む木立の奥を横切る白い巨像・・・

僕らはこれらを映像に変換しなくてはなりません。
ゴージャスチキンって何者やねん?どんなビジュアルをしているんだろう?
森見作品には「一切の高望みを捨てよ」「詩人か、高等遊民か」「倒れる偶像に押し潰されるな」と引用が多い。
「ゴージャスチキン」にもきっと出典があるはずだと僕らは考えまして。
古典喜劇映画の匂いがする。
そんなヘンテコなキャラが登場するフランス映画は無かったか?
某大学映画サークルの監督三羽烏の一人が撮った映画に登場しているかもしれない。
そんな訳で、もう一度森見登美彦氏の他作品を探ってみる。

そりゃあね、頭のどこかで、先生の単なる思い付きじゃないか?言葉のインパクトだけで書かれたんじゃないかと薄々気づいている自分もいますが、先刻承知であっても調べるのが原作に惚れた制作者の作法というものなのです。

もんどり打つの「モン鳥とは、ラーマヤナにも登場するインドの伝説上の鳥である。これが救いがたく鈍くさい鳥で、じつによく転ぶ」【走れメロス】
そう書いてあれば、一度はウィキペディアに「モン鳥」と打ち込んでみなくてはなりません。

淀川教授が「これはね、ペネロンプチ・アモ・ムチムチ、つまり現地の言葉で『美女の鼻毛』と呼ばれている果実さ。試験場の温室に僕が植えた」【四畳半王国見聞録】
そう言うのであれば、疑念を払拭して『ペネロンプチ・アモ・ムチムチ』と正しく打ち込んで検索してみなければならないのです。

話がそれました。
歌って踊れる鶏のダンスユニット「ゴージャスチキン」とは何者か?
猥褻物陳列ダンスユニット『桃色ブリーフズ』とは関係あるのか?
結局手がかりは見つかりませんでした。いえ、正しくは、ビジュアルの手がかりを見つけたのは、5月末に発売された最新作【聖なる怠け者の冒険】の中でした。

土曜倶楽部の一員にゴージャスさんと呼ばれる「鶏冠も鮮やかな一羽の美しい軍鶏」がいるだとう!?
しかも【ダ・ヴィンチ】のインタビューでは、「歌って踊れる鶏のダンスユニット『ゴージャスチキン』」とか、「見事な天狗笑いであった」とか、当時の自分が完全にその場の思いつきで、字面や語感の面白さだけで書いていたりする」、という解答が!

いいんです。こうして原作の表現に翻弄され続けながら作り続けることも愛なのだ。
字面や語感、ファンタジーを映像にすることこそ、アニメーションのクリエーターが頭を捻って挑戦する表現であり、原作ファンに納得してもらえるかの勝負どころでもある。
そこにずっと絵コンテで格闘してきた吉原監督と、森見登美彦氏は【公式読本】の対談でこう言っている。

吉原「森見さんや読者のみなさんのイメージをできるだけ裏切らない形で、でも僕らなりの想像力を働かせて作ったほうが、いいものになるだろうと思ったんです」

森見「それは絶対正しいです。原作者だからといって、何もかも知っているわけではありません。『有頂天家族』の登場人物たちや世界の成り立ちに、僕にとっても分からないところがいっぱいある」

堀川

日, 7月 21 2013 » P.A.WORKS Blog » コメントは受け付けていません。

有頂天日記 7月19日

困った。
いや、何が困ったかと言うと日記が書けないのだ。
別にネタが無いとか書くことが無いとかではない。
自分でも心底困っているのだが、何度書いても日記がまとまらないのだ。

書いた後に読み直すと変な文章な上に内容も良く分からない。
これは一体全体どういうことであろうか。
今までこんな経験がないのでちょっとパニクッている。

今日は5話のV編だったのだが、結構ギリギリまで粘っていたので、
精神的に疲れているせいだろうか…。
いや、それにしてもこんなに文章が書けないなんていうのは初めてである。

もう書けないのであれば、1回お休みしてしまおうかとも思ったが、
これでも有頂天家族制作チームの長男である自分が日記を飛ばして、
1銀閣を獲得したとなると、下に示しが付かない。
なので、赤裸々に書けないことを書いてみた。

うーむ。
来週もこんな事態になったらどうすればいいのか…。
煮詰まるというのはこういう事を言うのだろうか。
なんとも妙な体験である。

相馬

金, 7月 19 2013 » 有頂天日記 » コメントは受け付けていません。

有頂天日記 7月18日

最近では、ムービーチェックの際のPC操作も任されるようになりました。

 

『有頂天家族』のリテイク出しの場合、主に監督、演出、動検、仕上げスタッフから出ます。

 

アニメーション制作会社に入社して数カ月、この時が一番『プロのアニメ作り』を実感することができます。

 

その点は良いのですが、困ることもしばしば…。

 

単なる操作ミスやムービーチェック中にPCがフリーズする等はもちろん、一番困るのは、リテイク出しの指示がどこを指しているのかが分からない時です。

 

新人の僕では見つけきれないというか、分からない所まで出された時は、それはもう焦りを通り越して唖然とします。

 

ここが『プロ』の拘りだと思います。

 

『有頂天家族』では細部にまで注意を配り、リテイクもV編集の寸前まで粘って粘って作業しています。

 

これから最終話に向けてスケジュールは無くなる一方ですが、自分も自分にできることを妥協せず、作品作りに取り組んでいきたいと思います。

 

この【有頂天日記】もそうです。

正直、1銀閣でも何でもいいからもらって休みたいです。

 

がしかし、こんなことで妥協していてはこの先やっていけない。

 

そう思うことにして、今日も締め切り30分前に書き始めました。

 

 

 

毛利

木, 7月 18 2013 » 有頂天日記 » コメントは受け付けていません。

有頂天日記 7月17日

とある祝日のお話。

 

今週の頭に祝日があった。

 

誰もいない会社。

 

静かな有頂天部屋。

 

あの時、私は自由だった。

近頃は平日の昼など、ぬぼーっとして頭が無回転だったのだが、

何故か、解放的な何もないという空間は、私に一握のやる気を齎す。

 

適度にやるべきことをして、何となく終わらせて、ご飯を食べて日を過ごす。

 

だが、何かが足りない。

 

この胸にあつくたぎるなにか。

 

あの日見た何か。

 

 

 

そうだーーー

 

 

 

 

 

うなぎが食べたい。

 

 

 

 

 

ーーだが、金もない。

 

 

私は諦めた。

 

せめてもの慰めに与えられた静寂を味わった。

 

そんな翌日、同期のH君と後輩のY君は銀色の玉を使った遊びで出てきた銀色の玉と特殊景品を交換して、特殊景品を売却したお金で一杯4000のうなぎを食べたそうです。

 

思わず下鴨母の如く「くたばれ」を連呼しそうになる気持ちを抑えて今に至るのです。

 

だがまてしばし。

 

今日は何のこともないただのくだらぬことを徒然なるままに書いただけではないか。

 

何もない。

 

そう何もないのだ。

 

何故ならば今日のテーマは賢者モード。

 

空虚なこの感じ。

皆様も味わって頂けただろうか。

 

賢者の感じとはこんな感じだ。

 

閑々にして空疎。

血潮は収まり果てた。

 

 

だからうなぎが食べたい。

 

 

だけどお金がない。

仕方がない。何をせずとも戻るだろう。

明日にはすぐに。

 

それは、朝焼けに屹立する影をもって――

 

 

渡邉

 

水, 7月 17 2013 » 有頂天日記 » コメントは受け付けていません。

有頂天日記 7月16日

こんにちは、先週の2話放送でやっと下鴨家二男の矢二郎が登場いたしましたね!

矢二郎の住んでいる井戸は、六道珍皇寺さんにあり、京都では『冥途通いの井戸』として知られています。

実際は、井戸の近くまでは立ち入りできず、格子の隙間からこんな感じで見る事しかできません。

取材の際には、ご住職の方に許可を得て撮影をさせて頂きました。

過去に別の取材で撮影された写真には変な物が映っていたとか、いなかったとか・・・。

 

そして、『有頂天家族』の放映に被さったかのように、この井戸の特別拝観が今年されます!

実はもう開始されております!

期間は2013年7月13日(土)~9月30日(月)

時間10:00~16:00(受付終了)

※8月1日(木)~19日(月)は拝観休止

※拝観料が必要となります。

 

皆さんも矢二郎の住む井戸を、是非見にいらしてはいかがでしょうか^^

因みに、矢三郎の様に井戸に座るのはいけませんので。よろしくお願い致します。

 

松子

火, 7月 16 2013 » 有頂天日記 » コメントは受け付けていません。

有頂天日記 7月14日

 今夜放送の【有頂天家族】第2話作画監督担当大東百合恵の黙々と描きつづける背中である。
何故立膝抱えて描くのかと彼女に問いたい。
 うーむ、僕には『有頂天日記』口調を二週続けるのは無理でした。
それではごきげんよう、あとは頑張れ相馬P。

 もう5年以上前になるけれど、本社の新人動画マンと面談をしたことがありました。
「動画マンは原画マンになる日に備えて日頃から原画の勉強をしておけ。いっぱい動画(原画の中割り)を描きながら、原画をよく見ておけと言われるけれど余裕がありません。どうやって勉強すれば…」
とのこと。

 僕にはアニメーターの経験は無いけれど、発見の記録を習慣づけることを勧めました。
当時動画マンには作業日報的な自己管理表があったので(今も使っているのかしらん?)その日報に動画を描きながら気づいたこと、小さな発見を毎日忘れず記録すること。
焦らなくても1日たった1つの発見でいいから書き続けること。

 仕事を初めた頃は全ての経験が新鮮で発見のネタには困らないだろうけれど、そのうち見る視点を変えてみたり、比較してみたり、工夫しないと新発見は難しくなってくる。
『今日もこの原画から何か一つ必ず発見してやろう』と意地になって考えるようになる。
それを1年継続すれば300を超える発見の作画研究ノートができあがる。
彼らにとって絵を描くことは元々好きなこと。好奇心は刺激され、技術を探究する習慣が身に付くと思うのです。
ノートに先輩のアドバイスや担当した動画の完成映像を見て発見したこともメモしておく。
タイムシート上でイメージしたスピードよりも、映像の動きはとても速いと感じるかもしれない。
毎日作画の新発見を続けたら、次第に探究するテーマも高度なものになっていく。
1年後にはライバル狸からこう言われる。
「おまえは作画博士か!」

 知識が膨らんでくると早く原画マンになって試したいアイデアが次々と湧き出てくる。
そこで、赤くて硬い表紙のついた方眼ノートを用意する。表紙にタイトルを書く。
『将来原画マンになったら試したいことリスト』

 森見登美彦氏の作品の登場人物たちは多くのリストを作成している。
『お姉さんに会ったときに話すべきことリスト』
『注目に値する女性リスト』
『長い夏休みができたらしたいことリスト』
『京都に帰ったらやりたいことリスト』
『将来お嫁さんを持ったら実現したいことリスト』

 ん?ああ、そうか!
高藪智尚(【太陽の塔】)の仮説、「もし精神が位置エネルギーを持つとしたら、落下するときにはエネルギーを放出するはずだ」だ。
 やりたいことリストの持つ位置エネルギーが高いほど、実現した結果との落差によって膨大なエネルギーが放出されるとすれば、法界悋気にもほどがある腐れ大学生たちが生み出す底知れないエネルギーによって世界を救おうという迂遠な試みを作家は繰り返していたんだな。これは今日の発見。

 僕のPCには『将来アニメ化したいオリジナル企画リスト』のフォルダーがあります。
所謂ネタ帳ですね。オリジナル企画実現のチャンスがいつ貰えるかは分からない。
「チャンスさえもらえればその場でいくらでもアイデアを出せます」
そんな自信は無いので、定期預金を切り崩せるよう日頃からネタを貯金しておいたほうがチャンスが巡ってきたとき役に立つからね。

 『文藝』に掲載された森見登美彦氏の特集によると、「中学の頃から大学まで、大学ノートに手書きで毎日一頁の日記をつけていた」という。
 僕はそのノートのどこかに『将来小説家になったら使いたい四文字熟語リスト』があると踏んでいるんだけど、これは本人には訊けないな。
 小学四年生の頃の森見登美彦氏は、【ペンギン・ハイウェー】の主人公アオヤマ君に似て、好奇心旺盛で冒険好き、自然界に潜む神のパズルを解くことに夢中だったのかしらん?

 アオヤマ君のお父さんは教えてくれる。
「毎日の発見を記録しておくこと。そして、その発見を復習して整理すること」
「ずっと考える。ごはんを食べるときも、歩いているときも。書いたメモが頭の中でいつも自由に飛びまわるようになる」
アオヤマ君は複数の謎を同時に追いかけている。シロナガスクジラにもおっぱいがあるという事実について深く考える。

 素敵なアオヤマ君がいずれ京都の大学に進み、シュレディンガー方程式の壁を乗り越え、10年前に埋めたタイムカプセルを掘り返し、宇宙語で書かれた手紙を火星に届ける宇宙郵便少年を志すか、あるいは立派な腐れ大学生となって「理解できぬものを積極的に拒否しようという志をたて」、冒険の範囲を無限の四畳半に求めてその王国に君臨するのか。
あるいは手紙の文章技術を磨いて恋文代筆業で企業を志すか。

 二十歳を過ぎてからも人生経験の山を登る段階段階でようやく見えてくる己の資質ということもありますからね。
性急に自分の型を決め、一つのことだけに賭けて全てを台無しにした天狗とならぬよう、アオヤマ君が岐路に立ったとき、背中を蹴ってくれる盟友と出会えますように。
才能はあるのに作品を残していないクリエーターを見るとそう思います。

 森見登美彦氏は『文藝』で語っている。
私は「日記を書く」という行為によって、今の自分の仕事にも通じる二つの基本姿勢を体得した。書くべきことがあろうがなかろうが書くということ。そして無益な事柄こそ一生懸命に書くということである。

 これを作画に置き換えれば、「無益」とは投下した労力に対して映像効果の薄い煩雑な作画内容ということになります。
実はそこにアニメーター情熱が注がれていると、省エネで作るよう構成されたTVシリーズのカットにも、記号ではない生命が生まれます。
 演出の原画チェックは、クオリティーを守るために、そのカットに最低限必要な表現の取捨選択を常に迫られながら、限られた時間の中で作品を救う作業を強いられています。
そんなとき、カット構成上「無益な事柄」にまで丁寧に作画の情熱が注がれていると、演出は一つの取捨選択を作画の愛に救われて感謝することになります。

 作画ばかりではなく制作現場では業務以外の「無益な行為」から感じる作品愛もあり、それが直接的ではないにせよ作品やスタッフを救っていることも多いのです。

堀川

日, 7月 14 2013 » P.A.WORKS Blog » コメントは受け付けていません。

有頂天日記 7月12日

うーむ。

最近、赤玉先生並みに唸る回数が増えている。

決して弁天が家にこないのはなぜかを考えているのではなく、

ここにきて、色々と考えさせられる事が増えたのが原因である。

 

こんなことではイカンと思ってみても、ついつい出てしまうのだ。

同じ部屋で働く毛利には申し訳ない。

きっと後ろで先輩の気色悪い唸りなんか聞きたくもないであろう。

 

『有頂天家族』に関わり始めて約4年。

この間にいくつの問題に直面し、それに判断を下してきたのであろうか。

別に数えている訳ではないので、覚えている訳ではないが。

 

その1つ1つの積み重ねが、少なくとも今の現場やスタッフに影響を与えている事は紛れもない事実であるし、それを私自身、今、実感しているのである。

 

例えるならばインベーダーゲームなのだ。

目の前にいる敵をただ撃ち続けている気分なのだ。

本当は母船を破壊しないと問題は解決しないはずなのに。

インベーダーを撃つことは愛なのだと言わんばかりに、

ただ撃つことに必死で、下手すると何十匹かすり抜けて地球に到達しているかもしれまい。

 

はたして判断の中で何が間違っていて、何が正しかったのか。と樋口一葉する。

いや違う。自問自答する。

そして、モヤモヤする自分に「くたばれっ!!」と叫びたくなる。

考えていても仕方ないと言えばそうなのだが、全部が終わってしまったあとでは、良い思い出しか残らないのもまた経験済み。

 

だが突破口がない訳ではない。

少なくとも撃ち続けていれば、いつか母船には辿りつけるであろう。

泥臭いやり方だが、勢いに乗れれば、それは強みにもなるのである。

阿呆な頭でそんなことを妄想した金曜の夜であった。

 

相馬

金, 7月 12 2013 » 有頂天日記 » コメントは受け付けていません。

有頂天日記 7月11日

先日の「内打ち入り」でのこと。

打ち合わせ等を終わらせ、鍋会の準備に入れたのが開始1時間前。

それから事前に用意しておいた、約60人分の食事・飲み物をテーブルの上に配置し、後は待つだけ。のはずだったのに1つ問題が…。

 

テーブルの上に実際に並べてみてみると厭に寂しく感じ、「これ…足りないんじゃね?」ということになり、急ぎ3Dスタッフのマルコさん(本名:小川)と近くのスーパーに駆け込む事に。

 

本社スタッフは人数が多いこともあり、「これだけあれば、鍋もあるし大丈夫でしょ。」とマルコさんと2人、準備を終え、息を落ち着かせました。

 

そして開始時刻。

東京スタジオにいらっしゃった堀川社長のTV越しの乾杯の音頭と共に「内打ち入り」がスタート。

 

…が、ここでまたしてもアクシデント発生。

 

開始と同時にお腹を空かせたスタッフ達が物凄い速度で食べ始めました。

その光景に驚いたのも束の間、鍋が全然炊けていないことが判明。(原因はIHが加熱用ではなく、まさかの保温用だったこと。)

前菜を食べ尽くし、「次はまだ??」というスタッフ陣の視線のもと、「どうしよう…」と悩む汗だくの自分。

 

それからというもの、「煮えました?」「まだです…」「煮えました?」「まだです…」の繰り返しでしたが、やっとのことで完成。

それを食べている皆さんの笑顔に救われました。

 

最後は吉原監督の締めのお言葉と集合写真。からの相馬Pの若干滑り気味の芸でお開きとなり、なんとか終わらせることができました。

(片づけにご協力頂いた皆様、ありがとうございました!)

 

作品制作も内打ち入りも事前準備が大切ですね。

次はもっと上手くやります!

以上「内打ち入り」の裏側でした。

 

 

毛利

木, 7月 11 2013 » 有頂天日記 » コメントは受け付けていません。

有頂天日記 7月10日

内打ち入りにて鍋をやり、狸は食わぬが豚を食べ、英気を養った一昨日から二日後の今日この頃。

この間のブログを読んだPとかDの方々から、冷たい評価を受けたので、こんなに暑いのに鍋の熱も冷めてしまい意気消沈気味である。

 

どうやら、私の題材はこのブログで語るには長いらしい。

そして情熱の伝導効率が悪いようだ。

 

こんなにも熱い心で挑んでいると云うのに、人々の分厚い心の壁の前ではこんなにも無力なのだろうか…。

 

まあ、それはそれとして

 

ところで、厚いと云えば

最近はめっきり短い布地が増えてきたという話を前にしたと思うが、

 

ホットパンツ。

 

その存在はいや、実に奥が深い。

素材如何によって、厚み、密着度がかわり、その見栄えは凡ゆる可能性を孕むのだ。

 

まるで薄弱の素材であれば、よもやその秘すべき奥懐にすら届かんとするほど。

その時には、視線の鋒を刺し貫かんと、目を細めて挑む。

 

しかしながら、時にはその鋒をも弾き飛ばす厚き隔たりとなる場合もある。

だがしかし、例え我らが一つの矛を阻んだとて、

我らが真なる秘奥が一、心眼を防ぐことはできまい。

 

我らが心の目は、凡ゆるものを刺し貫いて、その真なる姿を映す。

 

そして、その目は妄想とも呼ばれ、凡ゆる者が全て持つ力である。

 

厚き布地という、負のエネルギーを孕む要因から、性のエネルギーを生み出す我らが偉大なる矛。

 

熱力学では低い熱源から高い熱源が熱を移動させることはできないという。

 

だがまてしかし。

 

我らが深奥の目、それは例え宇宙の虚空の中に放り出されて尚、熱を取り出せる、法則すらも破るものなのだ。

 

人は皆強大だ。

 

いつかこの熱くたぎる何かも、皆の壁を破り、届くに違いない。

 

なんたって人は兄弟だから。

 

だから大丈夫。なんか大丈夫。

 

例え有頂天制作ブースのエアコン壊れてても大丈夫。

 

心頭滅却すれば――うん、なんか涼しい。

 

Beクール、Beクール。

 

はてさて、心許ない送風機をわが身に向けて、安心してこの暑い夜を超えるとしよう。

 

 

渡邉

水, 7月 10 2013 » 有頂天日記 » コメントは受け付けていません。

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