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あのとき順番を間違えたんだ

「実は【スターウォーズ】を見たことがない」
そう告白するとみんなビックリします。
映像制作の仕事をする者として恥ずかしくはないか?
僕も『そうかな』とは思うのですが、告白する度あまりにみんなの呆れっぷりが激しいので、潔くこのまま通そうと思い今に居たります。
何故【スターウォーズ】を日本公開年に見なかったのかと考えてみると…
1つ、思い当たるフシが。

 小学5年の年、僕のクラスに転校性の鈴木君がやってきました。
鈴木君の部屋にはSF小説がズラリと並んでいました。
SFに興味の無かった僕に鈴木君が激しく薦めてくれたのはアーサー・C・クラークの【地球幼年期の終わり】(幼年期の終わり)。
背伸びして読んだものの解りませんでした。
「じゃあどんなSFなら好きなの?」
「もっと実際に起こりそうな事件の方が好きかなあ」

 中学に上がると鈴木君は映画に誘ってくれました。
SF映画の傑作がリバイバルされるから見に行こうと。
【2001年宇宙の旅】でした。
冒頭から「あの黒い板何?」
チンプンカンプンでした。
「キューブリック監督が、この映画は一度見ただけで理解されたら失敗だって言ってるからもう1回観なきゃ解らないよ」
続けて2度観たのですが、真剣な鈴木君の横で僕は気を失っていました。
気が付くと色とりどりの光線の中を突き進んでいました。
あの時、SFは僕には理解できないジャンルだと悟ったんじゃないだろうか。

 そんな鈴木君が今度は誕生日に【スターウォーズ】のEPレコードをプレゼントしてくれました。
これは大変気に入って、僕は映画のサントラを集めるようになりました。
でも、映画を観てみようという気分にはなれませんでした。
僕はSF入門の順番を間違えたんじゃなかろうか。
【スターウォーズ】から入っていたら、警戒心を今ほど持たなかったかもしれない。
苦手意識をつくらないための順番は重要ですよね。

月, 1月 14 2013 » P.A.WORKS Blog » コメントは受け付けていません。

ドラマのシナリオを書けるか?

 隣の辻Pの机の上に妙な形をしたものを見つけました。

 このキュートな形、惑星探査機はやぶさの向かった小惑星イトカワに見えませんか?
あの映画。大気圏突入で燃え尽きるシーンでは泣けたなあ。

 この惑星もパカッと割れると巨大メガネが入っていたりして。

 正月に貰ったイチゴを手にした娘に、「イチゴの種は何で外にあるが?」(富山弁)と訊かれまして。
思い出したのは、この正月に見なおしたアメリカのTVドラマ【ザ・ホワイトハウス】。
 シーズン1第6話の冒頭で、側近とポーカーをしながらバートレット大統領(マーティン・シーン)は言う。
「クイズを出そう。種が外についている果物と言ったら何だ?」「答えはイチゴだ」

 質問に答えていませんね。何でイチゴだけ種が外についているのか?
調べてみるとツブツブは種じゃなく、あれが果実なんですって!
種はその中にあるそうです。
じゃあ、赤い部分は何かと言うと、花托(かたく)が大きくなったもので、クッションの役割をしている。博識のバートレット大統領も知らなかったようです。

 【ザ・ホワイトハウス】はアーロン・ソーキンの脚本も素晴らしいのですが、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた情報量に触れると、勤勉な脚本家チームのサポートに支えられていることが分かります。
 シーズン2第4話。記者団から「サミットに何を期待しますか?」
と訊かれたアフリカ代表団のニンバラ大統領は「奇跡です」と答え、アジアの食糧危機を救った緑の革命の立役者でノーベル平和賞受賞者ノーマン・ボーローグについて、バートレット大統領と共に印象的に語ります。
この小麦の品種改良の元になったのが、城端の稲塚権次郎さんが育てた小麦農林10号ですね。
ちょっと嬉しい。
教科書だけではウトウトしてしまう知識も、そこにドラマが付随することで好奇心が広がりますよね。

 明日は仕事始め。
理念やビジョンは言葉ではなく、制作現場で日々起こるドラマと結び付ついてこそ面白い挑戦だと思えるんだと気付いたDVD鑑賞でした。
ドラマのシナリオを書かなくては。

日, 1月 6 2013 » P.A.WORKS Blog » コメントは受け付けていません。

『幸せに満ちた空間』

 新年明けましておめでとうございます。

 昨日から城端は大雪。
みるみる降り積もった雪を、鈍った体で掘っては投げ掘っては投げ、6キロくらい減量できたんじゃないかな!

 今年はどんな初夢を見ましたか?
僕は覚えていません。初夢は残念ながら覚えていませんが夢の話。

 昨年の11月のこと。夢から目覚めたときに涙を流している自分に驚きました。
見たばかりの夢の内容を、目覚まし代わりに使用している携帯電話にメモしておきました。
メモの最後には『幸せに満ちた空間』と書かれています。
夢の中で僕が最後に立っていた場所は、そこにいるだけで涙が流れるほど『幸せに満ちた空間』だったようです。
これは僕にとっての幸福感で、他人にとってはそうでもないと思うんだけど、でも、他人にも解ってほしいじゃないですか。

 夢を見た数日後、原画マンの大東百合恵に、この『幸せに満ちた空間』の情景を説明しようとしたのですが、どう表現したら伝わるのか分からない。
「絵で描いてみればいいのに」。彼女はとても簡単なことのように言う。
「まてまて。アニメーターだって頭の中で思い描いた情景を紙に描けなくて苦労するのに、絵描きじゃない俺が描けるわけがないだろう」
あ、絵が描ける人は『夢の絵日記』が可能なんだ。なんと羨ましい。
その技術を持たない僕は忘れないように文章で記録しておくしかないわけです。

 11月20日。
 こんな夢を見た。
 商店街に面した広い通りはロードコーンを並べて車両の進入を規制している。
町ではこれから行われる祭りのパレードの準備が進んでいる。
僕は3人くらいの仲間と歩道を歩いている。(誰かは分からない。思い出せない)
商店街の中心から離れるように少し緩やかな坂を登る。
僕らは(あの)スナフキンが最近始めたパン工房に向かっている。(夢の中ではどうやらスナフキンも僕らの仲間らしい。)

 暫く歩いてもパン工房は見つからない。場所は聞いていない。
通りに面した家から一軒奥に入ったところに雰囲気の良いログハウスを見つける。
二階が入口らしいので僕らは木製の階段を登った。
大きなガラスをはめた玄関の扉の右には、これまた大きな木彫の看板が掛かっている。
けれど文字は書かれていない。ただ、モクモクとした積雲(のような形)が彫られている。
どうやらこれは下手だけど、スナフキンが彫ったパンじゃないか。
ここがスナフキンのパン工房にちがいないと思う。

 扉を開けて中に入った。
ログハウスの中は、外観からは想像もつかないほど大きな吹き抜けの空間だった。
僕らが立っているところは四畳半ほどの階段の踊り場になっていて、二階にフロアーは無かった。
建物の片面にある大きなガラス窓を除いた壁は全て木製の陳列棚になっている。
一階から二階の天井までビッシリと。手の届かないところにまでどうやって陳列するのかは分からない。(司馬遼太郎記念館みたいだ。写真でしかみたことないけど)
室内は図書館というよりもずっと工房然として、使用されている木材は使い古され、広すぎるフロアーは早朝の森の中のように薄靄で満たされている。
それが、大きな窓ガラスから差し込む冬の柔らかな光を強調している。(絵が描けたらな…)
室内を満たした光が薄いレモン色なのは、壁の色が干渉しているから?
家具工場の工具の香りが仄かにする。
どうみてもパン工房には見えない。スナフキンがパン工房を始めたって?

 スナフキンの名前を呼んでも返事はない。
人の姿も見えないけれど、ノミを打つ心地よく緊張感のある音が一階から響いている。
その音から、この広い工房で作業するのはスナフキン一人だと分かる。
壁一面の陳列棚にはドッジボールくらいの大きさの、フクロウの木彫が隙間なくビッシリと並べられている。
床から天井まで。パンで作ったフクロウじゃなくて木彫。
1つ手に取って抱えてみる。

 音楽が聴こえている。聴いたことのない曲。
英語なので歌詞は全く理解できないけれど、メロディーがとても優しい。
マイア・ヒラサワの『Still June』に雰囲気は似ているけれど違う曲。

 僕はただそこに立っていただけなんだけど、なんて『幸せに満ちた空間』なんだと、満ち足りた気持ちになった。自然に涙が流れた。
そこで夢から覚めて、涙を流している自分に驚いた。
自分がこんな夢を見るんだと、もう一度驚いた。

 布団から起き上がらずに、聴こえた曲のメロディーを口笛で再現してみた。
とても良い曲だと思ったけど歌えなかった。だって英語の歌詞は分からないから。(夢の主が分からないのに英語の歌詞が流れるなんてことがあるのは不思議です。でも、もうその曲のメロディーは忘れてしまいました。)

 たぶん満ち足りた気分になったのは、僕の記憶に残っている色々な好ましい情景を組み立てて現れた、物を作る広い空間と、優しい光と、物作りの匂いと音が、癒しと高揚感を生み出す情動となって心の底にあるものを揺さぶったのだと思います。
あれが僕には居心地の良い場所なんだと思います。
それと、最後まで一度も現れなかったけれど、「スナフキン」は何でしょうね。
僕の好きな寡黙な職人達の象徴なんだろうか。自律と優しさの象徴なんだろうか。
いつか、何故「パン工房」だったのか、なぜ「フクロウ」の木彫だったのかが解ける日がくるような気がします。

本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

金, 1月 4 2013 » P.A.WORKS Blog » コメントは受け付けていません。

10÷3の2つの答え

 先日本社ビル内で事務所の引っ越しがありました。
机の周りを整理していたら本が出てきました。
【ワッハワッハハイのぼうけん】谷川俊太郎・作、和田誠・絵

 僕は小学二年生だったから、もう40年くらい前のことですが、教室の後ろに作られた学級文庫に並んでいた本です。
読んではゲラゲラ笑い、魅力的な絵にも魅かれて繰り返し読み、返却期限に一度返してまた借りてゲラゲラ笑い、クラスの友達に薦めていっしょに笑い。
僕の低学年の頃の心の本なのであります。
‘98頃に東京の図書館を探して歩いたけれど見つからず、残念な思いをしたのですが、2005年に復刻されたので購入しました。

 ところが、読み直してもあの頃のようにページをめくるたびに笑えなかったことに動揺しまして。
子どもと同じ感性を持たない者が、子どもがゲラゲラ笑う、子ども視点のアニメーションを作れるのだろうか、おとな視点の「子ども向け」になってしまうんじゃないか、この感性のズレは取り戻せないんじゃないか、と考え込んでしまったわけです。

 そんなことまで見越してこの本には、5才から15才までに読む本である。それを超えてからは読まないでくれ。16歳になるとワッハワッハハイはもう、ワッハワッハハイではなくなるから、と初めに書かれています。

 1つ思い出しました。
この本の『おまけ2』に書かれている、10を3で割った答え3.333333333333333333333333333333333333と、小数点以下36桁まで3が続く数字の説明には、「ほんとうの答えは、世界じゅうの3という数値を全部つかっても、書ききれない」と説明されています。
 当時はこれが理解できませんでした。
「世界中の3という数字は今この瞬間もすごい勢いで増え続けているのに、誰も全部つかうことなんてできないんじゃないの?」
父親に疑問をぶつけてみると、答えは「そうだな」、でした。
父親に認められて嬉しかった記憶があります。
「それはだな、」でなくてよかったと思います。
世界中の「3」を集めるビジュアルイメージに比べて、ロジックは子どもの僕には魅力的ではなかったでしょうね。

 復刻版によせて、谷川俊太郎さんが書いています。
「現代文明の基本的なありかたはまじめであります。しかしながら、まじめは人間の精神的肉体的現実の一側面にすぎません。ふまじめもまた、人生を豊かにする香料ないしは調味料として欠くことのできないものではないでしょうか。私はこのお話で現代におけるふまじめの復権を主張しました」
本当にそう考えて書いたのなのかなあ。
 
 大人には開かなくなってしまった古い抽斗がいっぱいあるけれど、こういうものが書ける作者はいつまでも子どもの頃の抽斗を自在に開くことができるんでしょうね。
中勘助の【銀の匙】みたいに。
谷川俊太郎と河合隼雄の対談本が出てた気がするので読んでみよう。

 この本を読んで純粋にゲラゲラと笑って楽しめるのが子どもで、この本のテーマを求めるのが大人なら、創作過程ではそのスイッチの切り替えができるようになりたいです。
 答えを提示せず、常識を飛び越えて、子どもたちの疑問と好奇心をくすぐるような作品世界をアニメーションで描きたいなあ。

【RDG】の原作者荻原規子さんは、児童文学を書くときに、子どもの視点をどのように意識しているんだろう。

土, 12月 22 2012 » P.A.WORKS Blog » コメントは受け付けていません。

比べてみたり、置き換えてみたりたり

 どっぷりと浸かりすぎて客観的に見えなくなっている現実の問題も、他のものに例えて考えるると理解の助けになることがありますよね。
一見関係のなさそうな現象から、『ああ、そうか』とヒントをもらえるのはそんな時です。
 最近専務はアニメーション業界のあり方を、自動車のメーカーとディーラーとサードパーティーに置き換えてよく話をします。
小さな制作会社のブランドを造り酒屋に置き換えて話してくれる方もいます。

 僕は制作現場をオーケストラに置き換えて考えてみます。
そのきっかけは以前も書いたと思うんだけど、4年くらい前の正月に寝転がって観た【のだめカンタービレ】のTVスペシャル番組で、のだめが千秋にぶつけたセリフ。
「好きな曲を楽しく弾いてるだけじゃ何故ダメなんですか?」(というような内容だったと思う)が、
僕には「好きな絵を楽しく描いてるだけじゃ何故ダメなんですか?」に聴こえまして、
『そうだよなあ…ああ、そうか。僕が作りたいのはオーケストラのようなチームでしか作ることのできない、シンフォニーのようなアニメーションなんだ』と気づいてからです。

 先日のアンケート以来、TVシリーズの監督と各話演出の関係や、演出がどんな方法で新人アニメーターを育成できるかについて考えていまして。
 小澤征爾のインタビュー本【小澤征爾さんと、音楽について話をする】と、【オーケストラの経営学】を読んでみました。
指揮者とオーケストラの関係を、演出とクリエーターと比べてみたり、置き換えてみたり。

 『音楽監督とその他の指揮者の関係は?』
 常設オーケストラには音楽監督を務める指揮者と、そのアシスタントの指揮者、他にはプログラム単位で招聘される客演指揮者がいるようですね。
 常設オーケストラを制作会社、常任指揮者を監督、アシスタントの指揮者を演出、楽団員をクリエーターに置き換えて関係を考えれば、大勢のクリエーターを抱える組織の運営と育成方針のちょっとしたヒントが見えてくるかもしれません。
 日本で商業アニメーションが本格的にスタートしてから55年ほど経ちましたが、プロのオーケストラが誕生したのはなんたって18世紀のことらしいですから、運営システムも成熟していると思うのです。

 『指揮者と演出の役割は?』
小澤征爾は、カラヤンやレナード・バーンスタインのアシスタントだった頃、どんな意識と方法で何を学んだのか。
コンサート本場でタクトを振るチャンスはどのように獲得されるのか。
指揮者の楽譜の読み込みを、演出の絵コンテの読み込みに置き換えてみて、楽譜から音楽を構成することと、絵コンテから映像を構成することの共通ポイントを探ってみてはどうだろう。
音楽も映画も時間芸術と言われますしね。

 演出の力量は作画打ち合わせに立ち会えばわかります。
昔、演出が絵コンテのセリフとト書きを読んでいるだけの退屈な打ち合わせに立ち会ったことがあります。
あれは、譜面通りにタクトを振っているけれど、音楽を通して伝えたいものが無い指揮者みたいなものなのか。
 指揮者が演奏家にイメージを伝える方法は、演出がクリエーターに『表現したいこと』を伝える方法の参考になることがあるんじゃないかなあ。

 作画の上がりを見て、『作画打ち合わせ』が機能していないと思うことはよくありました。
演出もアニメーターも、新人のうちに『密度の高い作画打ち合わせ』を経験して、完成映像のイメージを共有するコミュニケーションの訓練を意図的に仕掛けられないものか。
それが同じユニットで繰り返されれば、チーム内で共通言語が生まれて、その制作会社の個性となり伝統となって、新人に継承されていくんでしょうけどね…………と、遠い目をしてみる。

 『オーケストラの育成と音楽監督の役割は?』
 常設オーケストラの音楽監督に就任した指揮者は、どんな長期ビジョンを描き方針を立てるのか。
歴史のある一流のオーケストラには個別に確立された演奏法があり、先輩から新入りの楽団員に継承されるのが伝統となっているようです。
それがオーケストラのカラーになっているんですね。
最近はちょっと弱くなりましたが、老舗の制作スタジオにも伝統の作画カラーがありましたよね。

 固有のカラーと高い生産性を兼ね備えた創作チーム作りを目指すには、育成の初期段階で基礎技能習得の方向性とメソッドを統一した方が効率的だってことなのかなあ。
しっかり時間をかけて固有のスタイルを確立し、若手への継承もシステム化する。
一度基盤を確立してから、今度はそこに新な刺激を吹き込んでくれる監督を招聘して、新陳代謝を起こせばいいのか。
なーんだ、そういうことなんですね………………なーんだ……
書けば数行だけど、先は長いなあ。

 オーケストラの育成に最も重要なリハーサル、『指揮者を中心としたコミュニケーションを通して、一つの音楽観を作り上げる』、にあたるものは、制作現場では何に置き換えられるだろう?
 奏者間のコミュニケーションの基礎訓練にはオーケストラよりも弦楽四重奏が適しているのなら、新人アニメーターの育成も4,5人の同じ技能レベルのユニットで編成して、演出が各チームに課題を与えてみてはどうか。

 リハーサルを重ねることで演奏家同士の自発的な音楽的コミュニケーションを促すことは、制作現場に置き換えれば、一本の作品制作を通してクリエーター間の刺激と相乗効果が生まれやすい環境と機会を演出るということか。

 『音楽監督は指揮以外に組織運営のためにどんな仕事をこなしているのか?』
 オーケストラの個性の方向付け、長期ビジョンに基づいた演奏プログラムの選択と客演指揮者の招聘、演奏家の人事を、アニメーション制作会社のブランド化、技術目標と作品の選択、スタッフィングと比較して、監督と制作会社の依存関係の参考にできるところはないかしんらん。
うーむ、考えたいことの量に頭がおいつかない。

 でもですね、一つ根本的に気になるのは、幼少の頃から専門的な訓練を続けた一流の音楽家たちで組織する一流のオーケストラであっても、日本では経営の実態はとても厳しいことを【オーケストラの経営学】で読みまして…。
音楽の世界も芸術家集団が食べられるような組織を作るのは大変なんだなあ。
映画【おくりびと】の主人公を思い出しちゃいました。
オーケストラの規模は55人~109人らしいので、これは僕が理想とするアニメーション制作会社が抱えるアニメーターの数に近いんですね。
それについて考えるのはまた次の課題ということで…

水, 12月 19 2012 » P.A.WORKS Blog » コメントは受け付けていません。

若手アニメーターのアンケートから考えること

 11月の14日に、若手アニメーター育成事業【アニメミライ】に参加する原画マンに話をする機会がありました。
出席した二十数名の新人原画マンにアンケートを配布して4つの簡単な質問に答えてもらいました。

①どんな仕事の選び方をしているか。
②どんなときに満足を覚えるか。やりがいを感じるか。
③「将来あんなアニメーターになりたい」と思えるポイントは何か。
④現状に何を望むか。

 やりがいのファクター…自律性への欲求と、有能性への欲求と、関係性への欲求を知りたかったんですね。
回答を集計してみると、多かったのはこんな内容です

①新人なので選べない。与えられた仕事をやる
②描いたものに納得できたとき。褒められたとき
③上手くて稼げてスケジュールが守れるアニメーター
④収入

 なるほどね…。
どれもシンプルな答えだけれど、これから何をすべきかを考えるきっかけになりました。

 この4つの質問にどのように応えていくかを考えることで、新人アニメーターの現状を持ち上げられる気がします。

①【仕事の選択の機会】
 仕事の割り振りには彼らに選択の機会とそれに伴う責任感を。
まだ力量を自己判断できない段階では、その力量を把握し、長期育成的視野に立ってアドバイスできる指導者が必要。
アドバイザーには企業の育成方針にのっとった権限が与えられなければならない。

②【やりがい・達成感】
 仕事の評価を直接受ける機会の工夫。
主体性と達成感と探究心が刺激されるよう、評価の方法とタイミングを工夫をする。

 新人アニメーターとの関係で、評価の機会と権限を持つスタッフは、演出と作画監督ですが、現行のシステムで人材育成的な意識を演出と作画監督はどれだけ持っているのか。

 演出が若手アニメーターを指導する資質、力量には現状大きな個人差がある。
演出の育成者としての技量を養成する必要がある。指導方法、待遇を見直す。
1クールのアニメーションが主流になったことで、制作期間中に監督による徒弟制度的演出指導期間が無くなった現在、中長期視点で監督と演出の関係を築く代替システムを考える必要がある。

③【将来の目標】
 技術面、仕事に対する姿勢でロールモデルとなるアニメーターが同じ職場にいることが理想的環境。
 卓越した技術以外の面で目標となる先輩アニメーター、若手の目標となることを意識しているベテランアニメーターの数が少ないことがアニメーション業界の大きな問題。
 業界でも具体的ロールモデルになるアニメーターにスポットを当て、彼らの情報を若いアニメーターに継続的に広め、将来に目標と希望を見出しやすい方法を考えられないか。

④【現状への欲求】
 ほとんどのアニメーターは出来高契約なので、まず平均的水準まで生産性を向上させること。
生産量が頭打ちになったところからは、出来高以上の付加価値を意識する。
企業はアニメーターのどんな付加価値、貢献に対して報酬を支払うかを示す。
付加価値分を制作予算から捻出することは厳しいのが現実。
制作費以外の収入源を創出するのは制作会社の企業努力。

 今回のアンケートで見えてきたP.A.WORKSがやるべきことはこんなところです。
若いアニメーターの育成を考えるなら、育成指導者の養成、中堅、ベテランが彼らに手本と希望を示すこと。
最近の若手アニメーターの力量を問うよりも、指導者、特に演出の養成に手をうつほうが先だと思えてきました。中期取組になりますが急がば回れです。

 若手が現状に望むものの第一が「収入」であることを見ても、アニメーションの仕事に望むものは昔とは変わってきています。
これは悪いことでは無いけれど、離職率が上がる原因になっているでしょうね。

 僕ら40代~50代のベテラン世代はアニメバカで、収入に目をつぶって我武者羅に『好きだから』の一心で今までやってきたけれど、その結果、若手の目標となりえておらず、希望も示せていないと思います。
申し訳ない。
 そんな先人の具体的失敗例を回避しながら、若手はこれからのアニメーターのキャリアパスを模索して築いていかなくてはなりません。
才能、資質だけで、長く充分に食べていけるアニメーターは50~100人に1人でしょう。
それではさらに圧倒的労働力不足に陥ります。
①~④の取組は、アニメーターと演出の高い流動性を抑制するような、制作会社とアニメーターの良好な依存関係を見直す必要があります。

 今の彼らは手元の仕事をフウフウいいながらスケジュールに間に合わせるだけで、他のことを考える余裕なんて全く無く、どんどん技術を吸収して日々刺激に満ちているでしょうけれど、30歳になる頃にはちょっと先の将来を意識し始めて欲しいですね。

金, 12月 7 2012 » P.A.WORKS Blog » コメントは受け付けていません。

経済的な右手

【RDG】スタッフルームの白壁に木製のロゴがついていました。
賑やかですなあ。あっ、クリスマスが近いのか・・・ここに緑が欲しいですね。

 今週は東京と富山を行ったり来たり。
東京はポカポカ快晴でも富山は大荒れ。新聞によると1日に700を超える落雷があったとか。
千メートルほどの赤祖父山の頂も白くなりました。
冬の始まりです。

 上京する深夜バスを待ちながら、沢木耕太郎のエッセイ【バーボン・ストリート】を読み始めまして。
『奇妙なワシ』では、スポーツ紙に氾濫する紋切型の文章表現について書かれています。
アニメーションのパターン化された作画表現について最近考えていたところだったので、興味深い内容でした。
スポーツ・ジャーナリストの文章表現の現状にも共通するところがあるのかもしれません。
この本は1984年に出版されたものですけどね。

 ちょっと長くなりますが引用します。
「少ない字数で、しかもできるだけ速く書かなければいけないスポーツ記者にとって、わかってはいるがなかなかやめられない (中略) 試合終了後、数十分以内に電話送稿しなければならないというような綱渡りをしている彼らには、多少文章の力を弱めることになっても、やはり早く書き進められる紋切型に頼らざるをえないところがあるのだ」

 うーむ、締切に追われるTVシリーズの原画と似ていますね。
いやいや、それで納得していては作画表現の進歩が止まってしまいます。
一部の卓越した原画マンから斬新な表現がポツポツとでも出てきて、
「おっ、新しい表現が出て来たぞ」と、放映を見た原画マンの間で意識されると、業界全体に流行り出す。
この50年そうやって優れた作画表現はアニメーターの間で流通、継承されてきたと思うんだけどなあ。

 両手を広げて感情的に訴える男のオーバーアクションを見て、この作画表現はいつから流行ったんだろうと思い出してみると、僕が最初に意識したのは【AKIRA】だったかな。
日本人は人に語りかけるときにこんなに両手を動かすんだろうかと、自分の日常で意識してみると、けっこう動かしていますね、右手は。
話ながら無意識にずっと動かしている。
何か思い出せないときなど、手首をクルクルと回して刑事コロンボのピーターフォークみたいです。
この不規則な動きをTVシリーズで表現するには枚数がかかりすぎるし、
『やってる、やってる』感が出て逆に鼻につくかもね。匙加減が難しい。
経済的な枚数で自然な動きを表現しようとすると、片手のリピートゼスチャというのが落としどころなのかしらん。

 
 もう一つ、胸の前で手を組む少女の仕草。
この表現の元祖は宮崎駿監督作品のヒロインかな。
まてよ、星飛雄馬の明子姉ちゃんかもしれない。
でも、この信心深い仕草をしている少女を実際には見たことがないと長年思っていた訳です。
オーバーに仕草をつけるのは、作画のシルエットでも感情が解るからとも考えられますよね。

 ところが先週食事をしていたら、高校生の息子がカミさんに笑いながら訴えるのです。
「ねえ、お母さん、頼むから胸の前で手握るのやめて。それ、ヘンだから。何歳だと思っとるの?」
こんなに身近にいたとはビックリ!少女から遠くかけ離れてなほ!!

 僕はまだまだ観察が足りないようです。
みなさんの周りに戸惑う少女がいたら、是非手の仕草に注目してみてください。

土, 11月 17 2012 » P.A.WORKS Blog » コメントは受け付けていません。

木曜定例制作会議は続く

 毎週木曜日の午前中は定例制作会議。
今年の夏からは『制作はもっとアニメーション業界のことを知ろう』が課題。
新人制作の育成を兼ねています。
 自分で考えて発言する機会を増やすように、テーマを決めてディスカッションをしています。
新人も意見を出しやすいように、参加者を経験年数ごとに3、4人のグループに分けてみました。
グループの中にラインPが入ったりすると、新人は聞くばかりになっちゃいますからね。
経験が違えば話す内容だって違う。PはPでまとまってディスカッションをします。
このグループ分けだと発言も活発になるようです。
昔やっていた各作品進捗状況報告会議―朝から説教つき、よりも十倍健全です。

 ここ数か月の中心テーマは、アニメーターをとりまく現在の環境について。
新人制作も【RDG】を担当しながら日々現実とぶつかります。
その中でも、新人アニメーターの技能向上を考えるとき、僕ら制作に何ができるだろうかを考える機会。

 まず、いろんな立場の視点と短期、中期視点で考えてみました。
制作視点で見た場合、何が問題になっているか。どうしたいのか。
短期視点でやれることは何か。中期視点でやれることは何か。
これらを各グループでディスカッションしたことをまとめます。
企業経営的に判断するところは僕が決めます。
それらをP.A.WORKS制作のアニメーター育成方針として、制作全員が共有します。
制作はこの基本方針を判断基準にしていく。

 今週はもうひとつ。もし自分がアニメーターだったら、あるいは演出だったら、現状なにが問題なのか、どうしたいのか。
短期視点、中期視点で何をするべきか。
 アニメーターと演出になったつもりでディスカッションをしてみました。
 僕らがアニメーターだとしたら、どんな環境やシステムを望むのか。現状の問題点は何か。
将来を考えた場合、どんなアニメーターをロールモデルとするか。
何歳まで現役アニメーターとして一線で仕事を続けたいか。その歳での収入はいくら必要だと思うか。
出来高の場合はいくら稼げると思うか。
体力的にも生産量は落ちると考えて、必要な額との差額を埋めるためには何が必要か。
何故描き続けるのか。どんなときに達成感を得るのか。日々のモチベーションはなにか。
 新人アニメーターにとって、ちょっと先の目標も大切ですが、日々の仕事の中に見出す喜びがないと、一日中机に座って何年も続けられない職業だと思います。
好きな絵だけではなく、仕事として描き続けることのモチベーションってなんだろう。

 少し前のブログで、僕が制作を続けられているモチベーションは、
「ものを作っている現場に参加しているだけで幸せだと思えること。刺激的なものを作り続けたいと思えることだけど、きっとこれは教えられるものではないです」
と書いたけれど、もっとよくよく考えれば、教えられないことでも、それが生まれやすい条件が作れるんじゃないかと思いまして。
エドワード・L・デジ&リチャード・フラスト著【人を伸ばす力】原題【WHY WE DO WHAT WE DO】という本を読んでみました。

 アニメーターが毎日描き続けながらやりがいを感じること=内発的動機というのだそうですが、そのファクターは、自律性への欲求と、有能性への欲求と、関係性への欲求なのだそうです。
本に載っていた研究結果は、制作現場の体感として納得できることと、ちょっとアニメーションの仕事ではあてはめられないんじゃないかと思うこともありそうですが、これら内発的動機づけの要因をアニメーターや新人制作に置き換えて、動機と結果を結びつけるアイデアを実践する試みは面白そうです。
そのうちこれも木曜定例制作会議で話し合おう。

金, 11月 9 2012 » P.A.WORKS Blog » コメントは受け付けていません。

熊手守りの使い方

 今朝、【RDG】キャラクターデザインの芝美奈子さんからメールが届きまして。
メールの件名は『酉の市』
 「PAのぶんも熊手買ってきました。飾ってください」

 さて、酉の市には行ったことがない。なんで熊手か分からない。
とりあえず返信する前に便利なウィキで調べてみました。
『酉の市』フムフム、ヤマトタケルか。福を掻き込む熊手か。勉強になるなあ。
ありがとうございます。
芝さんのメールは続いて
 「制作室におけば(原画)上がりを掻き込めるかもしれません。あとで(設定制作の)まつこさんに渡しておきますね」

 なんと!そんな御利益のあるものなら是非是非。
制作ブースの柱に飾って毎日朝礼で二礼二拍手いたします。
ん? 待てよ。松子は酉の市の熊手の御利益を知っているのかしらん?

 「芝様。松子には背中を掻かないように渡してください」

 そんな訳で。
「これ、芝さんから頂きました」
「背中掻いたりしてないだろうな?」
「掻こうと思ったら芝さんに止められました」
「・・・やっぱりな」

木, 11月 8 2012 » P.A.WORKS Blog » コメントは受け付けていません。

1つのことからしか興味が広がらない

 僕は元来怠け者だけど、ただ一点、何かを創るということには没頭できるようで、ほとんどの好奇心はその一点からしか広がっていかないんですね。
 
 普段から知識欲があっていろいろ調べたりすることは全くないと言ってもいいけれど、この作品を作るには、こんなこと調べなきゃ、あんなこと調べなきゃ、という場合は俄然興味が湧いてきます。
 
 ビジネス書にも以前は全く関心がなかったのですが、制作現場やアニメーション業界に置き換えながら考えて、やっと、なるほどねえ、と理解できるのです。
たいてい調べているうちにどんどん興味は脱線していく訳ですが、そうやってしか興味の範囲が広がらないんだからしょうがない、と開き直ってみる。
 
 まあ、これを前向きに利用すれば、何か考えたり勉強したりしたいときは、実感できる仕事に絡めてしまえばいいわけです。

 今度【RDG】原作者の荻原規子さんと篠原俊哉監督の対談を組めないだろうか、という話がありまして。
そこで、小説の原作者との対談ってどんなものだろうという興味がでてきます。
 
 ヒントになりそうな荻原規子さんの【ファンタジーのDND】と【〈勾玉〉の世界】の対談を読んでみると、ファンタジーとか、神話とか、小説家が物語を創作することの意味にも興味が出てきます。
 
 そうすると、幼い頃父親の語りでしか聴いたことのなかった【古事記】なんてのも買ってみて、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯訶備比古遅神・・・ああ、人の名前も覚えられないのに神様の長たらしい名前なんてムリムリ、と1ページ目から挫折したくなるけれど、そこはちょっと粘って現代語訳から読んでみるかな、と思うわけです。

 荻原先生が、「本人が処理し終えたと思っていたものを、深淵から引きずり出す強力さをそなえた存在―それが、神話だと思う」
「神話をいじることは、たいへん危険な行為なのであって、敬虔に慎重に扱わないと、他人には見えないどこかの場所で恐ろしい報復が返ってくると」
と言われる部分も気になります。

 他の小説家の対談集やインタビュー集なども何冊か読んでいるうちに、臨床心理学の河合隼雄さんの著書【神話と日本人の心】【昔話と日本人の心】【昔話の深層】へと脱線していきまして。
「武装されていない好奇心は転落への道をたどる」(昔話の深層)は、荻原先生の言われていることのヒントになるかもしれません。
今まで心理学には全く興味がなかったのですが、作家との対談集【こころの声を聴く】【村上春樹、河合隼雄に会いに行く】【生きるとは、自分の物語をつくること】【なるほどの対話】もとても面白く、何故か箱庭療法の本を買ってみたり←今ココ。

 小説家にとって物語を書くというのは、自分の内面に向き合うとても個人的な行為のようですが、僕らがTVアニメーションで物語を作るときには、監督と脚本家を中心としたチームでアイデアを出し合う訳です。

 個人作家と制作チームでは物語を掘り下げる作業に違いが出てくると思いますが、原作者や原作兼監督の個人的な「危険を伴う行為」に共同作業者はどんな姿勢で臨めばよいのかを考えてみたり、今まで個人的には創作が楽しいだけだったけれど、もっと個人的な内面を掘り下げたらバランスを崩すような『毒』が掘り出されるのだろうかと考えてみたり。
どうも僕には良くも悪くもそういった創作の核になる狂気はなさそうですけどね。

月, 11月 5 2012 » P.A.WORKS Blog » コメントは受け付けていません。

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