P.A.WORKS Blog

有頂天日記 5月21日

日記。

皆さんは日記の意味をご存じであろうか。

某インターネット百科事典によれば、「日々の出来事を、ある程度連続的に紙などに記録したものである」だそうである。

 

私は自分で言うのも何であるが筆不精であり、日記が続いた試しがない。

世の中にはあまたのSNSが存在する時代だというのに、そのどれも億劫で使っていない。

 

なぜかと言えば、私は書いてはならぬ事を書く癖があるからだ。

以前にも、書いてはならぬことを書いた事があり、ひどく叱られた。

それ以来、自分が何か書くときは厳重なチェック体制が取られている。

 

しかしである。

 

書くなと言われると書きたくなるのが人の性。

これだから人間というやつはたちが悪い。

 

ここで、こっそりと内緒で皆さんにだけお知らせしたい。

『有頂天家族』制作スタッフの間では、今、極秘のぷろじぇくとが動いている。

時代はブログを飛び越え、今や動画である。

せっかく便利なものがあるのに使わない手はない。

 

まだ少し先になるかもしれないが、

有頂天日記では、いづれ動画を使って皆様に現場の空気をお届けしたいと考えている。

無論…ここだけの話ではあるが。

 

我々は金閣銀閣をも凌ぐ悪巧みが大好きなのだ。

捲土重来!捲土重来!!

 

相馬

火, 5月 21 2013 » 有頂天日記 » コメントは受け付けていません。

有頂天日記 5月20日

気が付けば既に5月も中旬を過ぎた。

前回プロローグを上げてから、既に2週間がたったわけで、

残酷なほど早く過ぎていく時間の経過には腹立たしささえ覚える。

時計よ、くたばれっ!!

 

さて、この2週間、何をしていたかと言えば、前回の日記にも書いた通り、

最終話のコンテの上りを待っていた。

監督の「しばし待て」を大体96時間ぐらい待ったあと、1日が48時間ないのはなんでだろうと本気で考え出したあたりで上りを頂戴したわけである。

 

監督、本当にお疲れ様でした。

いつも大変な想いでコンテを書かれる姿を横で見ながら、

私はと言えば、どうやってこれを間に合わせるかと策を巡らせる日々。

このやり取りが終わってしまう事に若干の寂しさを覚えるあたり、

私はやっぱり阿保だと思います。

 

そんなこんなで、無事に最終話のアフレコに行き感無量。

そのまま城端に取って返しては、現在、既に進行している幾多の話数の管理。

来月から本格的に始まるであろう修羅をいかに乗り切るかに頭を悩ませつつ、

製作委員会へ出席の為、再び東の京へ。

 

そして現在。

富山に帰るバスの車内でこの日記を書いている次第である。

まったくもって、まったくもって!退屈している暇がない。

 

相馬

月, 5月 20 2013 » 有頂天日記 » コメントは受け付けていません。

有頂天日記プロローグ

 

時は江戸中期。

城端の地で職人たちが見事な曳山を作り上げてから約300年。

今日、この地にはアニメーションを作るクリエイターたちが暮らすという。

 

だが待て、しばし。

 

『有頂天家族』はP.A.WORKSが構想4年という月日を費やし、

総力を結集して制作しているアニメーションである。

無論、監督以下ほとんどのスタッフがこの本社に集結している。

ならば、その姿を伝えることこそ、我が使命ではなかろうか。

そんな想いに到り、久しぶりに筆を執った次第である。

 

申し遅れましたが、『有頂天家族』でラインPを務めます相馬と申します。

以後、よしなに。

 

さて、世間がごーるでんうぃーくなるものに浸る中、

私はというと、ひたすら最終話のコンテが上がるのを待っている。

「あぁ、早くコンテが読みたい」と呟いてみても、監督は「しばし待て」である。

 

もう、こんな生活が始まって1年以上が経つ。

監督の吉原正行はこの作品のコンテを全部で9話分も書いているのだ。

それは現在のTVアニメの作り方としては信じがたい事であり、この作品に賭ける熱意でもある。

 

だが待て、しばし。

 

最後の一本が上がらないのである。

しかし、私には分かっている。

必ずや監督はこの最後の壁を乗り越え、憔悴しつつも微笑みながらコンテを渡してくれる事を。

だから、ひたすら今日も待つのである。

 

誤解しないで頂きたいが、決して、ただ待っているだけではつまらないので日記でも書こうとか思った訳ではない。

これはれっきとした仕事なのである。

 

 

その証拠に1つみなさんにお知らせをさせて頂きたい。

既にご存じの方も多いだろうが、6月16日に『有頂天家族』のお膝元である京都にて、先行プレミアムイベントが開催される事が決定している。

 

アニメ第1話の先行上映のほか、メインキャストとスタッフのトークショーも予定されている訳だが、何と言っても、あの日本最古の劇場である「京都四條 南座」でというトンデモ企画である。

もうこれは狸に化かされているのではなかろうか。いや、狐かもしれぬ。

 

ともあれチケットの抽選受付はイープラスさんにて行われており、

受付期間は5月7日(火)23:59までである。

 

つまりは明日の夜までである。

もうあまり時間がないのである。

まだ予約されていない方は急がれよ。

 

天狗のように飛べぬとも、人間にはインターネットがあるのだから。

 

月, 5月 6 2013 » 有頂天日記 » コメントは受け付けていません。

持続する志と物語

4月1日から富山本社に17名の新人スタッフが加わりました。
僕が挨拶でした話の内容を記録しておきます。

アニメーションの仕事に夢を持って毎年多くの新人がこの業界に入ってきます。
この仕事を長く続けるのは厳しいという情報も知りながら、それでも希望に胸膨らませ、キラキラした瞳で飛び込んできます。
ところが、やはり多くの人は短い間に夢を諦めて辞めてしまいます。
彼らがこの仕事を始めたときの志はどこに消えてしまったのか。
志を持続するとはどういうことか。
何故モチベーションが維持できなくなったのか。
「志」を「モチベーション」に置き換かえて考えてみました。

 モチベーションを維持する要素を3つ思いつきました。
 ①モチベーションが自分の中から生まれる状態。
自分のやりたいことや、作りたい作品が沸々と体内から湧き上がってくる場合。
今の皆さんがそうでしょう。長くこの業界で仕事を続けている人は大抵そうです。
こういう人は放っておいても自分のやりたいことを見つけて、それに向けて行動するのです。
「結局そういう人が残るんだよ」という考えは育成を放棄しているようで同意できません。

 ②モチベーションを自分で作り出せるか。
一握りの天才でもない限り、仕事を始めてしばらくすると厳しい現実にぶつかります。
簡単には超えられない技術の壁や、仕事と両立できない問題に悩みます。
その問題をなかなか突破できないでいるうちに、モチベーションが保てなくなり辞めてしまうことが多いのです。
体内から自然に湧き上がってこなくなったモチベーションを、再びどのように作り出すことが出来るかを考えてみました。

 最近僕は『物語を作り出す力』ということを考えています。
モチベーションを生み出すということは、『個人が自分の成長の物語を描けるか』と同じことなんじゃないか。
全く打ちのめされた状態からであっても、そこから前に進む新しい物語を思い描けるか。

 最もシンプルな物語の構造は、今の自分は何かが欠落した状態で、それを手に入れるために未知の世界を冒険して、さまざまな障害を乗り越えて目的のモノを獲得して帰って来るというものです。
それが姫を魔物から救い出す冒険活劇であれ、作画技術獲得の物語であれ、コンプレックスの克服であれ、パターンは同じものです。
仕事を始めた頃のモチベーションを失いかけたときに、再びシンプルな構造の成長物語を描き、そのストーリーを完結させる力があるかです。

 戦わなければならない敵が強いほど、障害が大きいほど、習得技術が高いほど、コンプレックスが強いほど、未知の世界の冒険は大変な困難を伴います。
でも、僕らはこういう仕事をしているのだから、映画のことを考えてみてください。
その困難を乗り越える過程が映画を面白くするのです。
冒険は刺激に満ちていて、主人公が成長して目標を達成したときには感動もするのです。
そう考えて、成長物語を苦労も含めて起承転結へと進むことを楽しめるかどうかです。

 ところが現実を見ていると、冒険に踏み出したところで、その物語をあっけなく閉じてしまう。
一本の映画を作りきる前に降りてしまう。別の物語を選択する。
そして、得てしてまたクライマックスを迎えることなくその物語も閉じることになる。
一つの物語を完結させる力が弱いように思います。
この業界に限らず、どの職業も何かを獲得しようと思えば平易な物語は無いでしょう。
どうせなら苦しくても刺激的でカタルシスのある物語を描いてみてはどうでしょう。

 どんな人生の物語を描き、選択するかはあなたたちに委ねられています。
この仕事が自分に合わないと思えば辞めることも簡単に選択できます。
その自由を獲得した。それが今の豊かな時代です。
選択の自由が現代ほど無かった時代は、社会から、会社から、家族から求められることが生きることに直結して、そこから逃げることが許されなかったのだから、どう耐えぬいて強くなるかというシンプルな物語が他者によって用意されていたのです。
現代は選択の自由な世界で生きいていることと引き換えに、個人が自分の物語を作り出し、完結する能力が必要になったということなんじゃないかと思います。

 この業界に限らず、自分が選択した一つの物語を簡単に閉じてしまう現状を考えると、日本はこの能力を身につける教育がまだ追い付いていなんじゃないかと思います。
もし、この先も教育方法が見直されず追いつかないのなら、先人が獲得した自由を再び放棄して、生きる為に誰かが物語を与えてくれることを望む危険な時代が来るんじゃないかとも思います。

 ③モチベーションを人から与えられる場合。
これは、今の自分が獲得すべき目標を与えられ、その目標を達成することに喜びを感じるというものです。
新人育成担当にあたる先輩に考えて欲しいことはここにあります。
彼らの成長をサポートするにはどんな役割を果たせばよいのか。
新人の成長物語に寄り添って、彼を未知の冒険に後押ししたり、知恵を授けたり、厳しい師匠となったり、相棒となったり、数々の障害突破のイベントやイニシエーションを用意したりしながら、起承転結を経て物語を完結に導く。
その取組には心理学や物語の構造論が多くの示唆を与えてくれる気がします。

 以上、モチベーションを作り出すこれら3つの要因を組み合わせれば、①だけに頼らずとも意識的に維持できるのではないかと考えました。簡単なことでは無いですけどね。
アニメーターは日々の研鑽を積んで、一つの大きな成長物語を完結するのに約10年かかります。
そこでアニメーターを終える訳ではなく、そこからまた10年の新たな物語を描いて行きます。

 新人の皆さんが、始まったばかりの物語を簡単に閉じることなく、苦難を克服しながらも、未知の冒険の刺激と目標獲得のストーリーを楽しみながら頑張って欲しいと思いますし、それを乗り越えてきた先輩も、彼らの物語完遂に寄り添って欲しいと思います。
頑張ってください。

水, 4月 3 2013 » P.A.WORKS Blog » コメントは受け付けていません。

夢のような今を、少しも色褪せずに ♪

 劇場版【花咲くいろは】Home Sweet Homeのテーマ曲―nano.RIPEの新曲『影踏み』の歌詞です。
 今回の「Home Sweet Home」は、TVシリーズ第20話『愛・香林祭』の後のお話です。
「いつも」の賑やかな喜翆荘には小さな事件がいっぱいです。
緒花は古い業務日誌の中に昔の喜翆荘を見つけます。

 TVシリーズもそうでしたが、岡田麿里さんが書く親子三代『四十万の女』の物語は、また特別なものがありますね。
緒花から見た皐月、皐月から見たスイ。
 母と、仕事一筋に生きる人と、女の、3つの顔を持つ一人の女性は、母親の顔だけを望む思春期の少女の内面ではどれほど受け入れ難くも大きな存在なのかと、僕も岡田さんの脚本を読みながら16歳の少女の複雑な心を推し量ってみるのです。
少年から見た父親像とはまた違うのでしょうね。

 それとですね、久々に喜翆荘の人々を見ると、一人ひとりのキャラクターがしっかり生きているんだな、と感じました。
僕ら制作者がストーリーを提供しなくても、彼らは彼らのパラレルな世界でずっと生きているように思えます。
TVシリーズを1クールではなく、2クール、26本作ってきたからでしょうか。
アフレコに立ち会ったときには、彼らのずっと続いている世界、【花咲くいろは】の空気感に満たされた世界に僕らが戻ってきたような気分にさせてくれました。
それが懐かしくもあり嬉しかった。
劇場で観て下さる皆様も、きっとそう感じていただけるのではないでしょうか。

 その世界では、『影踏み』の歌詞のごとく、これからも緒花たちは色あせずに輝いているんでしょうね。

 あ、でも僕らも16歳の遠い昔に感じた『輝きたい』という気持ちが薄れた訳ではありません。
作品を作っていることがいつまでも「あたりまえ」とも思えず、やはりどんなにハードな現場でも『夢のような今』なんだと、こんなに歳をとっても恥ずかしくもなく思えるし、そう思えるうちに『色あせない』この【花咲くいろは】のような作品を1本でも多く作ろうと思うのです。

月, 2月 11 2013 » P.A.WORKS Blog » コメントは受け付けていません。

頭の中のガスの元栓

 朝。富山本社の食道に顔を出すと、動画マンと3Dスタッフがテーブルを囲んでおりました。
何の集まりだろうと、自販機の珈琲が注がれる間チラッと遠巻きに見ていました。
『ははん、これが噂に聞く朝の10分課題だな』

 毎朝始業前に一つお題が出されて、実物を見ず、何も調べず、自分の記憶を頼りに10分間で描いてみる、という『ゲーム』感覚のドリル?が昨年9月から続けられているようです。
アニメーターには日常の観察力が求められますからね。

 この朝の会をまとめている設定デザイン部の宮岡真弓に訊いてみると、今までの提出課題は全てデータとして保存されているということなので見てみました。

 例えば、コンセントプラグ、洗濯ばさみ、爪切り、穴あけパンチ、消火器、城端の信号機、寮の蛇口、本社スタジオのゴミ箱、火災報知器、TARI TARIの鈴、傘の骨、本社のテレビのリモコン、自分の携帯電話、扇風機の羽、100円ライター、モップ、卵のパック、急須、泡立て器、脚立、扇子、ドアチェーン、ガスの元栓・・・・

 こうしてみると、普段使用している物でも細部の構造を描こうとすると、『んん?』と思うものもありますね。
しかし、毎日身の周りのものからお題を考えるのも大変そうですな(笑)、いいぞいいぞ。
確かに、この習慣をずっと続けていたら、日頃の観察習慣は自然に身につきそうですね。

 昔、大塚康生さんが来社されたときにも記憶で描くゲームをやったことがあります。
その時僕は、「本社近くの信号機とその下に立つ人」、とか「城端線の線路をまたぐ人」、といったお題を出しました。
仕事で描いたレイアウトを見ていると、風景と人物の対比が適当なのが気になっていたからです。
ドアと人物の対比とか、ドアノブの高さとかね。

 作画部部長の吉原によると、意外に3Dスタッフの描く絵が面白いとのこと。
モノの構造、特に可動部の構造に拘るところは3Dスタッフらしいんですって。

 それと、10分間とはいえ、絵を描くプロとして「人に見てもらう絵が描けているか?」というのもポイントらしいですよ。
提出された課題を参加者全員で囲んで、宮岡が一つ一つの評価をしていました。
人に教えられるようになることで自身も一歩成長すると思います。

 そんな訳で、僕はこっそりフォルダー内のデータを覗いて、みんなの頭の中のモノを見る楽しみが増えた訳です。

土, 2月 2 2013 » P.A.WORKS Blog » コメントは受け付けていません。

お話になりませんな

 物語の構造について触れている本を探していたら、【ストーリーメーカー】(大塚英志著)という本を見つけまして。
僕らのような仕事をしている者にとっても、企画段階でアレコレ出たアイデアをシステマチックに検証するのにとても役に立ちそうな本でした。

 曰く、「主人公は何かが欠けた状態にあり、それが回復するプロセスの上に物語は成立します」
 物理的な欲求でも、コンプレックスも含めて内面的な欠落の充足でも、満たされないものを手に入れようと行動を起こすことで物語が動き出すのがお話の基本パターンですよね。
生活に目標を持つのだって、会社がビジョンを提示するのだって、今の自分に足りないものを獲得するためのドラマを自身で思い描く為です。

 昔、こんなことを考えたことがあります。今の自分の生活をドラマの起承転結の流れに載せて、この先にクライマックスのシナリオを思い描けないのなら、今の状態が僕のクライマックス(ピーク)ってことなんじゃないだろうか。
あとはエピローグを迎えるだけ、か。いやいや、それは嫌ですよ。
今より上のビジョンを描いてもっとマシな人生のシナリオにしよう、と。

 ああ、そうか。
現代に言われる「閉塞感」って、ひょっとして「欠落」を感じないことで、人生の物語が描けないってことが原因なんじゃないだろうか。
昔に比べれば生活水準も上がって、我武者羅に手に入れたい物も無いでしょうし、払拭したい強いコンプレックスも無い。
人々が「何かを手に入れたいと思うエネルギー」の総和が時代の熱量だとすれば、現代はドラマを動かすエネルギーを必要としない時代ってことになる?
それは良いことのようでもあり、物語の転がらないつまらなさもあります。

 そんな話を相馬Pにすると、「いいえ、若い人は(君だって20代だろうに)、欲求はあるんです。でも、それを獲得するために何かを犠牲にしたくは無いんだと思います」と言う。

 ああ、そういうことか。
この本の第一章には、「物語の基本中の基本は『行って帰る』である」、とあります。
主人公が冒険に出て、足りないものを獲得して生還するのが物語の基本だとするならば、現代の「閉塞感」は、手に入れたい宝物はあるけれど、危険な冒険には出たくない主人公のジレンマということなのか?
うーん、ちょっと違う気がする。
その宝物、実はそれほど欲しくないんじゃないかな。
ジレンマを感じるくらいなら代替品でなんとかしちゃうんじゃないか。
しかし、物語を創作する者としては困ったぞ。それではお話になりませんな。

 あ、そうか。
人も、どの時代も、物語を持ちたい本能があるんじゃないか。
自分の物語を冒険するエネルギー、時代の物語を動かしているエネルギーを身近に感じていたいんじゃないか。
そして、そのお話はシンプルなほうが大勢で共有できるんじゃないか。
その為には、解り易い物が適度に足りない社会、解り易いコンプレックスを持った社会のほうがいいんじゃないか。
現代社会を覆う「閉塞感」の原因は、「物語」を持ちたいのに、「物語」を転がすエネルギーを見つけられない現状への苛立ち、「物語の欠落」、「欠落の欠落」なんじゃないか。

この「欠落感」をシンボライズしよう。
そして、冒険の果てに僕らが「新しい物語」を獲得できるよう、主人公のケツをひっぱたいてやろう。
主人公はそのドラマの果てにきっと何かを失うんだろうな。(そういうものらしいのです)
でもきっと、幸せの黄色い越中ふんどしの揺れる場所に帰って来るんじゃないかな。

金, 2月 1 2013 » P.A.WORKS Blog » コメントは受け付けていません。

あのとき順番を間違えたんだ

「実は【スターウォーズ】を見たことがない」
そう告白するとみんなビックリします。
映像制作の仕事をする者として恥ずかしくはないか?
僕も『そうかな』とは思うのですが、告白する度あまりにみんなの呆れっぷりが激しいので、潔くこのまま通そうと思い今に居たります。
何故【スターウォーズ】を日本公開年に見なかったのかと考えてみると…
1つ、思い当たるフシが。

 小学5年の年、僕のクラスに転校性の鈴木君がやってきました。
鈴木君の部屋にはSF小説がズラリと並んでいました。
SFに興味の無かった僕に鈴木君が激しく薦めてくれたのはアーサー・C・クラークの【地球幼年期の終わり】(幼年期の終わり)。
背伸びして読んだものの解りませんでした。
「じゃあどんなSFなら好きなの?」
「もっと実際に起こりそうな事件の方が好きかなあ」

 中学に上がると鈴木君は映画に誘ってくれました。
SF映画の傑作がリバイバルされるから見に行こうと。
【2001年宇宙の旅】でした。
冒頭から「あの黒い板何?」
チンプンカンプンでした。
「キューブリック監督が、この映画は一度見ただけで理解されたら失敗だって言ってるからもう1回観なきゃ解らないよ」
続けて2度観たのですが、真剣な鈴木君の横で僕は気を失っていました。
気が付くと色とりどりの光線の中を突き進んでいました。
あの時、SFは僕には理解できないジャンルだと悟ったんじゃないだろうか。

 そんな鈴木君が今度は誕生日に【スターウォーズ】のEPレコードをプレゼントしてくれました。
これは大変気に入って、僕は映画のサントラを集めるようになりました。
でも、映画を観てみようという気分にはなれませんでした。
僕はSF入門の順番を間違えたんじゃなかろうか。
【スターウォーズ】から入っていたら、警戒心を今ほど持たなかったかもしれない。
苦手意識をつくらないための順番は重要ですよね。

月, 1月 14 2013 » P.A.WORKS Blog » コメントは受け付けていません。

ドラマのシナリオを書けるか?

 隣の辻Pの机の上に妙な形をしたものを見つけました。

 このキュートな形、惑星探査機はやぶさの向かった小惑星イトカワに見えませんか?
あの映画。大気圏突入で燃え尽きるシーンでは泣けたなあ。

 この惑星もパカッと割れると巨大メガネが入っていたりして。

 正月に貰ったイチゴを手にした娘に、「イチゴの種は何で外にあるが?」(富山弁)と訊かれまして。
思い出したのは、この正月に見なおしたアメリカのTVドラマ【ザ・ホワイトハウス】。
 シーズン1第6話の冒頭で、側近とポーカーをしながらバートレット大統領(マーティン・シーン)は言う。
「クイズを出そう。種が外についている果物と言ったら何だ?」「答えはイチゴだ」

 質問に答えていませんね。何でイチゴだけ種が外についているのか?
調べてみるとツブツブは種じゃなく、あれが果実なんですって!
種はその中にあるそうです。
じゃあ、赤い部分は何かと言うと、花托(かたく)が大きくなったもので、クッションの役割をしている。博識のバートレット大統領も知らなかったようです。

 【ザ・ホワイトハウス】はアーロン・ソーキンの脚本も素晴らしいのですが、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた情報量に触れると、勤勉な脚本家チームのサポートに支えられていることが分かります。
 シーズン2第4話。記者団から「サミットに何を期待しますか?」
と訊かれたアフリカ代表団のニンバラ大統領は「奇跡です」と答え、アジアの食糧危機を救った緑の革命の立役者でノーベル平和賞受賞者ノーマン・ボーローグについて、バートレット大統領と共に印象的に語ります。
この小麦の品種改良の元になったのが、城端の稲塚権次郎さんが育てた小麦農林10号ですね。
ちょっと嬉しい。
教科書だけではウトウトしてしまう知識も、そこにドラマが付随することで好奇心が広がりますよね。

 明日は仕事始め。
理念やビジョンは言葉ではなく、制作現場で日々起こるドラマと結び付ついてこそ面白い挑戦だと思えるんだと気付いたDVD鑑賞でした。
ドラマのシナリオを書かなくては。

日, 1月 6 2013 » P.A.WORKS Blog » コメントは受け付けていません。

『幸せに満ちた空間』

 新年明けましておめでとうございます。

 昨日から城端は大雪。
みるみる降り積もった雪を、鈍った体で掘っては投げ掘っては投げ、6キロくらい減量できたんじゃないかな!

 今年はどんな初夢を見ましたか?
僕は覚えていません。初夢は残念ながら覚えていませんが夢の話。

 昨年の11月のこと。夢から目覚めたときに涙を流している自分に驚きました。
見たばかりの夢の内容を、目覚まし代わりに使用している携帯電話にメモしておきました。
メモの最後には『幸せに満ちた空間』と書かれています。
夢の中で僕が最後に立っていた場所は、そこにいるだけで涙が流れるほど『幸せに満ちた空間』だったようです。
これは僕にとっての幸福感で、他人にとってはそうでもないと思うんだけど、でも、他人にも解ってほしいじゃないですか。

 夢を見た数日後、原画マンの大東百合恵に、この『幸せに満ちた空間』の情景を説明しようとしたのですが、どう表現したら伝わるのか分からない。
「絵で描いてみればいいのに」。彼女はとても簡単なことのように言う。
「まてまて。アニメーターだって頭の中で思い描いた情景を紙に描けなくて苦労するのに、絵描きじゃない俺が描けるわけがないだろう」
あ、絵が描ける人は『夢の絵日記』が可能なんだ。なんと羨ましい。
その技術を持たない僕は忘れないように文章で記録しておくしかないわけです。

 11月20日。
 こんな夢を見た。
 商店街に面した広い通りはロードコーンを並べて車両の進入を規制している。
町ではこれから行われる祭りのパレードの準備が進んでいる。
僕は3人くらいの仲間と歩道を歩いている。(誰かは分からない。思い出せない)
商店街の中心から離れるように少し緩やかな坂を登る。
僕らは(あの)スナフキンが最近始めたパン工房に向かっている。(夢の中ではどうやらスナフキンも僕らの仲間らしい。)

 暫く歩いてもパン工房は見つからない。場所は聞いていない。
通りに面した家から一軒奥に入ったところに雰囲気の良いログハウスを見つける。
二階が入口らしいので僕らは木製の階段を登った。
大きなガラスをはめた玄関の扉の右には、これまた大きな木彫の看板が掛かっている。
けれど文字は書かれていない。ただ、モクモクとした積雲(のような形)が彫られている。
どうやらこれは下手だけど、スナフキンが彫ったパンじゃないか。
ここがスナフキンのパン工房にちがいないと思う。

 扉を開けて中に入った。
ログハウスの中は、外観からは想像もつかないほど大きな吹き抜けの空間だった。
僕らが立っているところは四畳半ほどの階段の踊り場になっていて、二階にフロアーは無かった。
建物の片面にある大きなガラス窓を除いた壁は全て木製の陳列棚になっている。
一階から二階の天井までビッシリと。手の届かないところにまでどうやって陳列するのかは分からない。(司馬遼太郎記念館みたいだ。写真でしかみたことないけど)
室内は図書館というよりもずっと工房然として、使用されている木材は使い古され、広すぎるフロアーは早朝の森の中のように薄靄で満たされている。
それが、大きな窓ガラスから差し込む冬の柔らかな光を強調している。(絵が描けたらな…)
室内を満たした光が薄いレモン色なのは、壁の色が干渉しているから?
家具工場の工具の香りが仄かにする。
どうみてもパン工房には見えない。スナフキンがパン工房を始めたって?

 スナフキンの名前を呼んでも返事はない。
人の姿も見えないけれど、ノミを打つ心地よく緊張感のある音が一階から響いている。
その音から、この広い工房で作業するのはスナフキン一人だと分かる。
壁一面の陳列棚にはドッジボールくらいの大きさの、フクロウの木彫が隙間なくビッシリと並べられている。
床から天井まで。パンで作ったフクロウじゃなくて木彫。
1つ手に取って抱えてみる。

 音楽が聴こえている。聴いたことのない曲。
英語なので歌詞は全く理解できないけれど、メロディーがとても優しい。
マイア・ヒラサワの『Still June』に雰囲気は似ているけれど違う曲。

 僕はただそこに立っていただけなんだけど、なんて『幸せに満ちた空間』なんだと、満ち足りた気持ちになった。自然に涙が流れた。
そこで夢から覚めて、涙を流している自分に驚いた。
自分がこんな夢を見るんだと、もう一度驚いた。

 布団から起き上がらずに、聴こえた曲のメロディーを口笛で再現してみた。
とても良い曲だと思ったけど歌えなかった。だって英語の歌詞は分からないから。(夢の主が分からないのに英語の歌詞が流れるなんてことがあるのは不思議です。でも、もうその曲のメロディーは忘れてしまいました。)

 たぶん満ち足りた気分になったのは、僕の記憶に残っている色々な好ましい情景を組み立てて現れた、物を作る広い空間と、優しい光と、物作りの匂いと音が、癒しと高揚感を生み出す情動となって心の底にあるものを揺さぶったのだと思います。
あれが僕には居心地の良い場所なんだと思います。
それと、最後まで一度も現れなかったけれど、「スナフキン」は何でしょうね。
僕の好きな寡黙な職人達の象徴なんだろうか。自律と優しさの象徴なんだろうか。
いつか、何故「パン工房」だったのか、なぜ「フクロウ」の木彫だったのかが解ける日がくるような気がします。

本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

金, 1月 4 2013 » P.A.WORKS Blog » コメントは受け付けていません。

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