P.A.WORKS Blog

有頂天日記 7月28日

 【有頂天家族】第四話-狸たちの「大文字納涼船合戦」をご視聴いいただきありがとうございます。
いやあ、下鴨家VS夷川家の激しい京都上空戦でした。

 1枚1枚の絵を手作業で描くアニメーションの弱点は物量なんですね。
『お祭り』を描くにはそれなりの時間と労力と覚悟が必要です。
「大文字納涼船合戦」が京都上空で本当によかった。
地上戦なら今頃まだ逃げ惑う群衆の動画を描いていたでしょうね。

 「P.A.WORKSと言えばお祭りでしょ?」と言われることがあります。
確かに【true tears】から振り返ってみれば、お祭り、お祭り、ライブ、お祭り、殺戮合宿…ん? 合唱、学園祭と続いていますなあ。
【true tears】では『作品が求めるならば、手間のかかる表現からも逃げない』という意思表示がありました。
当時の表現の流れに抵抗したかったんですね。それが出来るスタジオになりたいという目標がありました。

 森見登美彦氏の作品にもお祭りがよく登場します。
宵山、祇園祭、五山の送り火、ええじゃないか騒動、学園祭、クリスマス(ファシズム)、偽右衛門選挙…
僕と同じで人ごみとか人前とか苦手そうに見えるのに、実は先生はお祭り好きなんだろうか?
『お祭り』をモチーフとして繰り返し使用する意図は何だろうと思いまして。
京都南座で行われたイベントのトークショーで先生に質問してみたんですね。
先生は何故繰り返し『お祭り』を描かれるのか?
先生によると、広げた風呂敷を終盤で一気にワーッと収束させる手段として使うらしいのです。
フムフム。でも、それだけかしらん?
何となく消化不良で、あれからも考えているのです。
森見登美彦氏にとっての『お祭り』とは何だろう?

 森見作品の登場人物は、よく法界悋気をお祭りにしていますよよね。
「クリスマスを呪い、聖ヴァレンタインを罵倒し、鴨川に等間隔に並ぶ男女を軽蔑し、祇園祭において浴衣姿でさんざめく男女たちの中に殴り込み、清水寺の紅葉に唾を吐き、とにかく浮かれまくる世間に挑戦し、京都の街を東奔西走、七転八倒の歳月を過ごした」【太陽の塔】
鍋会を重ねて「運命の黒い糸」で結ばれた友人たちのとの、反『お祭り』という『お祭り』の記憶を繰り返しているように見える。
きっと森見先生は学生生活が楽しかったんだろうなあ、と想像してみる訳です。
ご本人は京都南座のトークショーで、バラ色のキャンパスライフを否定して、灰色でしたと言われたけれど、作品からはその頃の『お祭り』を肯定する優しい眼差しを感じます。
学生時代の友人曰く、「明らかに、自分が社会に出るって分かっていないんです。いまある日常がそのまま続いていきそうな錯覚に陥っている」(【文藝】特集対談)
やっぱり森見登美彦氏の創作の車輪を廻しているのは、鴨川デルタを中心とする半径2キロで起こった『お祭り』の肯定的な記憶なんじゃないかと思うのです。今のところ。

 アニメーションの制作現場は、僕にとってはお祭りのようなものです。
作品の企画立ち上げから納品まで、祭りの準備から祭りの打ち上げにも似ています。
その高揚感が20年以上僕の車輪を廻し続ける刺激になっているのです。
だから祭りと祭りのスパンが短いTVシリーズの制作が好きなんだろうな。
それにTVシリーズでは制作期間中に放映が始まるので、視聴者の反響を知ることもできますからね。
大勢の見物人の前で山車を引いている感覚ですね。

 【有頂天家族】の劇伴で『M02』と呼ばれている曲があります。
よくラストシーンの矢三郎のモノローグに使用されている曲ですね。
『お祭り』の余韻にピッタリだと思いませんか?
この曲を聴くと、焚火の残り火を一人で眺めているような、『祭りの後』の情景が思い浮かんで淋しくなります。
【有頂天家族】を作り終えて暫くすると、きっとこんな空虚感に襲われるんだろうな。
それでも、僕らはまた直ぐに新しい祭りの準備を始めるのです。
有頂天な阿呆っぷりを晒して、フーフー言いながら重い山車を押そう。
そうやって体力の続く限り、グルグルと創作の車輪を廻し続けながら『お祭り』を楽しもう。

堀川

月, 7月 29 2013 » P.A.WORKS Blog

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