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有頂天日記 7月21日

【有頂天家族】をご覧いただいた皆様から、「京都に行きたくなった」という反響をたくさん頂きました。
そんな京都巡礼の皆さまも第3話では、「扇屋の奥に海って何処やねん?」と思われたと思います。

弁天が海に飛び込んで鯨の尻尾をつかむ場面は、森見登美彦氏も楽しみにしていたシーンだったようで、アフレコでは鯨の尻尾を引っ張る弁天の高笑いを聴いてニッコリと口角を上げておられました。
僕は弁天のいたずらに、「何すんだヨゥ…」と困惑する鯨の鳴き声がお気に入りです。

では、この海は何処にあるのか?
こんなとき僕らが原作者に「ここのモデルは何処ですか?」と安易に訊くのはちょっと憚れるんですね。
原作からいろいろ調べたり想像を膨らませているうちに、どんどん作品への理解が深まる楽しみがあるのです。そこは時間をかけたいところ。

『地図だけが知っている日本100年の変貌』(竹内正浩 著)を読むと、扇屋「西崎源右衛門商店」のある三条高倉からずっとずっと南に下ったところには、「巨椋池」(おぐらいけ)という大きな池があったそうです。
今は存在していません。昭和8年から16年にかけて干拓されました。
周囲16キロメートル、水域面積7.94平方キロメートルだったといいますから、池というより湖ですね。

ハハーンそうか! 森見登美彦氏も京都の歴史を調べているうちに、この巨椋池を見つけて思いついたんじゃないだろうか。
「巨椋池が巨鯨池だったらオモチロイ!」
京都最大の淡水湖に妄想の鯨を浮かべて楽しんだのではないか?

先生とお話をする機会があったので僕の推理を確かめてみました。
えーっと、巨椋池とは無関係のようです。ショボン。
最近この「京都の海と鯨」の森見登美彦氏の答えを【TV Bros】に掲載されたインタビューで読みました。

「夏だからなんとなく海というノリで書いたところなんです(笑)」(森見)

えっ…ノリ? ま、まあそういうものですよね。

森見登美彦氏のファンはご存知の通り、作品のほとんどが京都を舞台にしています。
多くの作品で繰り返されるモチーフ、作品を股に掛けて出没する人物と小道具。
それらをパズルのように繋げて、森見作品に通底する作者の意識を探る楽しみがあります。
ご本人が「なんとなくノリで書いた(笑)」だったとしても構わない。
「京都だったらまあ、アリかな」みたいな。【公式読本】それでオーケーなのです。
定番のモチーフの上に「ノリ」や「思いつき」をレゴブロックのように積み上げていったら、作者が無意識に作り上げた謎多き京都の輪郭が立ち上がってくるんじゃないかという楽しみ。

僕も歯科医院のお姉さんに言われたい。
「この謎を解いてごらん。どうだ。君にはできるか」

下鴨総一郎が山そのものに化けた偽如意ケ嶽の怪奇を原作では次のように表記しています。

木のうろから無数に生み落される達磨たち、歌って踊れる鶏のダンスユニット「ゴージャスチキン」、霧に沈む木立の奥を横切る白い巨像・・・

僕らはこれらを映像に変換しなくてはなりません。
ゴージャスチキンって何者やねん?どんなビジュアルをしているんだろう?
森見作品には「一切の高望みを捨てよ」「詩人か、高等遊民か」「倒れる偶像に押し潰されるな」と引用が多い。
「ゴージャスチキン」にもきっと出典があるはずだと僕らは考えまして。
古典喜劇映画の匂いがする。
そんなヘンテコなキャラが登場するフランス映画は無かったか?
某大学映画サークルの監督三羽烏の一人が撮った映画に登場しているかもしれない。
そんな訳で、もう一度森見登美彦氏の他作品を探ってみる。

そりゃあね、頭のどこかで、先生の単なる思い付きじゃないか?言葉のインパクトだけで書かれたんじゃないかと薄々気づいている自分もいますが、先刻承知であっても調べるのが原作に惚れた制作者の作法というものなのです。

もんどり打つの「モン鳥とは、ラーマヤナにも登場するインドの伝説上の鳥である。これが救いがたく鈍くさい鳥で、じつによく転ぶ」【走れメロス】
そう書いてあれば、一度はウィキペディアに「モン鳥」と打ち込んでみなくてはなりません。

淀川教授が「これはね、ペネロンプチ・アモ・ムチムチ、つまり現地の言葉で『美女の鼻毛』と呼ばれている果実さ。試験場の温室に僕が植えた」【四畳半王国見聞録】
そう言うのであれば、疑念を払拭して『ペネロンプチ・アモ・ムチムチ』と正しく打ち込んで検索してみなければならないのです。

話がそれました。
歌って踊れる鶏のダンスユニット「ゴージャスチキン」とは何者か?
猥褻物陳列ダンスユニット『桃色ブリーフズ』とは関係あるのか?
結局手がかりは見つかりませんでした。いえ、正しくは、ビジュアルの手がかりを見つけたのは、5月末に発売された最新作【聖なる怠け者の冒険】の中でした。

土曜倶楽部の一員にゴージャスさんと呼ばれる「鶏冠も鮮やかな一羽の美しい軍鶏」がいるだとう!?
しかも【ダ・ヴィンチ】のインタビューでは、「歌って踊れる鶏のダンスユニット『ゴージャスチキン』」とか、「見事な天狗笑いであった」とか、当時の自分が完全にその場の思いつきで、字面や語感の面白さだけで書いていたりする」、という解答が!

いいんです。こうして原作の表現に翻弄され続けながら作り続けることも愛なのだ。
字面や語感、ファンタジーを映像にすることこそ、アニメーションのクリエーターが頭を捻って挑戦する表現であり、原作ファンに納得してもらえるかの勝負どころでもある。
そこにずっと絵コンテで格闘してきた吉原監督と、森見登美彦氏は【公式読本】の対談でこう言っている。

吉原「森見さんや読者のみなさんのイメージをできるだけ裏切らない形で、でも僕らなりの想像力を働かせて作ったほうが、いいものになるだろうと思ったんです」

森見「それは絶対正しいです。原作者だからといって、何もかも知っているわけではありません。『有頂天家族』の登場人物たちや世界の成り立ちに、僕にとっても分からないところがいっぱいある」

堀川

日, 7月 21 2013 » P.A.WORKS Blog

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