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有頂天日記 7月3日

人類の科学の進歩は目覚しい。

欧州にある超巨大望遠鏡は、ブラックホールから低温の塵の風を押し出している様子を捉えたという。

 

ブラックホール。

 

太陽の30倍ほどの質量の星にしてやっとそれになるという、巨星の終末の姿。

 

もし、太陽と同質量のブラックホールがあるとしたら(実際には太陽はブラックホール化はしないが)、それは直径3キロほどの大きさにしかならないそうだ。

つまり、それほど圧縮しなければ、星はブラックホール化しないということだ。

 

ブラックホールの観測は、それ自体は光すら抜け出せない超重力の為に姿を直接見ることはできず、周囲の降着円盤という、天体に落ち込むガスや塵が周囲に形成する円盤から発せられるX線を調べることで、やっと観測を行うことができる。

 

ブラックホールとは、なんともマクロなスケールな話で、これは一端にすぎないのだとしたら、この宇宙中の概念をかき集めたら、軽く人間1人の脳に収まりはしないだろうな、と途方に暮れるばかりだ。

 

それと同時に、宇宙というのは、直に見ることができないということで、イヤにその存在に対しての夢を抱かせるものだとも思う。

 

 

マクロなスケール……なるほど、マイクロな透ける……似ている。

 

 

さて、マイクロな透けると言えば、

時節はそろそろ人々が海へと駆り出す頃である。

Tシャツの下に透けるマイクロな水着…なるほど素晴らしい。

水着単体であるならば、正直、そこらに溢れる週刊誌のグラビアでほいほい見れる。

だが、誌面で眺めることと、実際にその目に収めることの差は大きい。

 

かつその付帯要素としてのTシャツの効能は、宇宙の神秘にも等しい。

 

時に人は、その肉体を素体のままに見せることよりも、上に何かを纏う方が艶かしさを感じさせる。

例えば、その肢体のラインを直にではなく、その上をなぞらえるように纏う形であると、より効果としては大きい。

 

つまりだ、その直に眺められないという点が、人に幻想を抱かせ、脳内で想像がスパークするのだろう。

それは、ブラックホールのような宇宙の話も、海岸線の水着の上からTシャツギャルのみならず、全ての道行く者に対しても同じである。

 

しかしながら、実際の観測は必ずしも、脳内での想像による補完に勝るわけではないのだから、その差異は失望として機能してしまう。

 

人類のパラダイムと、人類夢想のパラダイム、その次元の差は未だ大きく開いている。

 

現実は未だ、我らの理想に届いてはいない。

 

いつか時代が人々の心のスピードに追いつく日を夢見て――

 

 

――などと、脳内に浮かべつつ先週はようやく、担当話数のV編を迎えた。

 

先週はV編に追われて生きることに精一杯だったため、思考のままで留めてしまい、ここに爪痕を残すことができなかった。

 

私の内のテーゼは未だ尽きることなく、無限にわき出る岩清水である。

次もまた、ここに新たなる論題を投じることをお約束しよう。だれも待ってないと思うが。

 

何卒、よろしくお願い致します。

 

渡邉

 

水, 7月 3 2013 » 有頂天日記

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