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お話になりませんな

 物語の構造について触れている本を探していたら、【ストーリーメーカー】(大塚英志著)という本を見つけまして。
僕らのような仕事をしている者にとっても、企画段階でアレコレ出たアイデアをシステマチックに検証するのにとても役に立ちそうな本でした。

 曰く、「主人公は何かが欠けた状態にあり、それが回復するプロセスの上に物語は成立します」
 物理的な欲求でも、コンプレックスも含めて内面的な欠落の充足でも、満たされないものを手に入れようと行動を起こすことで物語が動き出すのがお話の基本パターンですよね。
生活に目標を持つのだって、会社がビジョンを提示するのだって、今の自分に足りないものを獲得するためのドラマを自身で思い描く為です。

 昔、こんなことを考えたことがあります。今の自分の生活をドラマの起承転結の流れに載せて、この先にクライマックスのシナリオを思い描けないのなら、今の状態が僕のクライマックス(ピーク)ってことなんじゃないだろうか。
あとはエピローグを迎えるだけ、か。いやいや、それは嫌ですよ。
今より上のビジョンを描いてもっとマシな人生のシナリオにしよう、と。

 ああ、そうか。
現代に言われる「閉塞感」って、ひょっとして「欠落」を感じないことで、人生の物語が描けないってことが原因なんじゃないだろうか。
昔に比べれば生活水準も上がって、我武者羅に手に入れたい物も無いでしょうし、払拭したい強いコンプレックスも無い。
人々が「何かを手に入れたいと思うエネルギー」の総和が時代の熱量だとすれば、現代はドラマを動かすエネルギーを必要としない時代ってことになる?
それは良いことのようでもあり、物語の転がらないつまらなさもあります。

 そんな話を相馬Pにすると、「いいえ、若い人は(君だって20代だろうに)、欲求はあるんです。でも、それを獲得するために何かを犠牲にしたくは無いんだと思います」と言う。

 ああ、そういうことか。
この本の第一章には、「物語の基本中の基本は『行って帰る』である」、とあります。
主人公が冒険に出て、足りないものを獲得して生還するのが物語の基本だとするならば、現代の「閉塞感」は、手に入れたい宝物はあるけれど、危険な冒険には出たくない主人公のジレンマということなのか?
うーん、ちょっと違う気がする。
その宝物、実はそれほど欲しくないんじゃないかな。
ジレンマを感じるくらいなら代替品でなんとかしちゃうんじゃないか。
しかし、物語を創作する者としては困ったぞ。それではお話になりませんな。

 あ、そうか。
人も、どの時代も、物語を持ちたい本能があるんじゃないか。
自分の物語を冒険するエネルギー、時代の物語を動かしているエネルギーを身近に感じていたいんじゃないか。
そして、そのお話はシンプルなほうが大勢で共有できるんじゃないか。
その為には、解り易い物が適度に足りない社会、解り易いコンプレックスを持った社会のほうがいいんじゃないか。
現代社会を覆う「閉塞感」の原因は、「物語」を持ちたいのに、「物語」を転がすエネルギーを見つけられない現状への苛立ち、「物語の欠落」、「欠落の欠落」なんじゃないか。

この「欠落感」をシンボライズしよう。
そして、冒険の果てに僕らが「新しい物語」を獲得できるよう、主人公のケツをひっぱたいてやろう。
主人公はそのドラマの果てにきっと何かを失うんだろうな。(そういうものらしいのです)
でもきっと、幸せの黄色い越中ふんどしの揺れる場所に帰って来るんじゃないかな。

金, 2月 1 2013 » P.A.WORKS Blog

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