素材から映像をイメージする力
撮影から上がったムービーをチェックしていると、緒花の複雑な髪形や花の髪飾りに目がいってしまいます。
『花咲くいろは』の作画は日常芝居が中心です。
緒花の頭のような複雑な造形の、ゆっくりとした動きの方が、実はダイナミックなアクションよりも、作画は細やかな神経を要求されることが多いのです。
例えば上の緒花が、手渡されたバイト料を見て立ち眩みを覚え、頭をゆっくり振ったりすると、
変化したあらゆる角度で、全てのパーツの移動幅をきっちり合わせながら、髪飾りやモジャ毛の纏まりを描く必要があります。
この計算が適正でないと、ムービーにした場合に、そのパーツだけが独立したおかしな動きをします。
髪飾りだけ頭の動きと微妙に合っていなかったり、一部の髪の毛の纏まりだけ不自然な体積変化や動きをします。
でも、この間違いを原画の紙面上で確認すると、ほんの1mmにも満たないズレだったりするんですよね。
パラパラと見ても僕には判断がつかない。
そのズレを防ぐために、アニメーターは細心の注意を求められます。
上手い原画マンや作画監督の描く原画の体積変化や角度変化、軌道は精密機械のように正確なのです。
相当に最終画面のリテークを意識して経験を積んできたのでしょうね。
原画の時点で判断するのは極めて難しいけれど、ムービーでチェックすれば間違いも分り易いので、工程のデジタル化が進んでからは
「ムービーで結果を見てから判断」することが多くなっているように思います。
この判断の先送りが今後何をもたらすことになるのか。
集中力や緊張感の欠落、ムービーになってからのリテーク率の増加、無駄な時間とコストもそうですが、
アニメーターや演出が、原画とタイムシートだけを見て最終画面をイメージする力が弱くなっていくのだろうと思います。